2025年10月7日火曜日

53-2025ガラスの天井が破られた

 noteに書いているせいでおざなり。政治ネタはこっちで書こうと思う。


自民党総裁選が行われ、高市早苗さんが新たな総裁に選ばれた。私は「林さんかな」と思っていた。SNSで斜め読みするかぎりは高市氏が優勢。しかし、最後は「女性はちょっと」ということになるだろうと思っていた。いわゆるガラスの天井だ。

しかし実際は高市氏が選出された。日本のジェンダーギャップ指数からすれば意外ではないだろうか。案外ガラスの天井がなかったという事実に驚いた。

石破氏は、どうも支持率が上がらないまま終わった。実際は法案を通しているので何もしていないわけではないが、不発感が拭えない。

そもそも、石破氏に人気がなかったのが意外だった。次期総裁アンケートをすればいつも上位にいた氏だが、実際になってみると選挙に負け続けた。

人気は、マスコミによって作られたのかもしれない。私は当初、自民党内の内ゲバ、足の引っ張り合いで石破氏が苦戦しているのだと思っていた。それもないとは言い切れないけど。実際は「人気がある」という情報が虚構だった可能性が高い。

小泉進次郎さんはステマがばれ、最近では総裁選前に祝勝会をしていたなどと脇の甘さが露呈している。私は小泉氏が総裁になるのも結構アリだとお思っている。かなり不謹慎だが、人気のみで駆動する危うい政体を見てみたいという欲求がある

しかしなんていうか。思った以上に当人は何も考えていないのだろう。小泉氏の取り巻きがあれこれ考えて、彼は神輿に乗るだけなのだろうが、その周囲のブレーンも予想していないくらい彼は何も考えていないんだと思う。

農水大臣に就任してコメの価格を下げるなんて発言をしている時はやっぱり格好が良い。それをもうちょい生かして欲しいんだけど。「閉塞感の打破」はいちばんできると思う。閉塞感じたいも「感じ」なわけで、実態はない。カリスマが「打ち破れ!」と言ったら案外簡単になくなると思う。小泉氏にはそれができる。しかし、当人に全くその気がないのである。

2025年7月24日木曜日

51-2025 My past was all right (過去は全て正しかった)

「過去は全て正しかった」と割り切って、これからの人生に、真剣に打ち込もう 


 この数ヶ月は落ち込んだり開き直ったり、悔やんだり恨んだりしている。ここ最近、私は「たとえやり直せたとしても同じように誤っただろう」と思うことで自らを慰めていた。まぁ、「しゃあない」を自分なりに言い換えているのだ。

 だがこの言葉の方が割り切り方が良い。照れくさい話だが、この言葉が刺さった。それくらい今の私は弱っている。

 んで、正しさ云々に関して思いを馳せていて急に運気の話を思い出した。これまで「ポイ捨て」は運気を下げるとして避けてきた。しかし5月のある日に酒に酔って路上で喫煙をし、その吸い殻を花壇に捨てた。

 正直路上での喫煙は構わない。問題はポイ捨てなのだ。

 思い返せばそこからガッと自分の運気が下がった。まずいことが明るみに出た。やはり、運気が下がることをしてはいけないのだ。

 さらにそこから話を進める。「まずいことが明るみに出た」とあるが、今思い返すと「あれ、たぶん、シラを切り通すこともできたな」と思えた。しかしそうはしなかった。私は誠実な態度を取ったのだ。

 と、考えるとまずいなりに正しいことをしている。うん、悪くないよ。

50-2025 about politics

 noteにつけてる禁酒日記が50を超えた。こっちも50本。売れっ子記者だ。

 先週参院選があった。自民は議席数を減らし、参政党と国民民主党が議席を伸ばした。

 石破茂首相は歴代の首相と会談を行った。そこで何が話されたかが明らかになる前に「石破退陣」の号外が配布された。

 見切り発車で内閣退陣を報じるのは、なかなかないことだと思う。特に大手の記者さんは時の政権と仲睦まじいイメージがあったから驚いた。この辺の駆け引きはよく分からないが、新聞社とて全くの臆測でものを書かないだろう。何かしらの情報があったはずだが。

 これにより石破茂首相は「辞めないと言っていたのに退陣する」に始まり「退陣すると報じられたのに辞めない」と二重の嘘吐きのような印象になったか。

 今回は参政党の躍進がドラスティックだった。国民民主もまた議席を増やした。国民民主は須藤元気氏の擁立で非難を浴びた。また参政党も医療の方面でずいぶん問題のある見識のようだ。

 参政党は海外から右翼ポピュリズム政党だと見られているようで「自国第一主義を掲げながら"日本ファースト"と英語混じりでそれを表現してしまう程度には軽薄」などと冷やかされている。参政党はそのうち日本第一主義と言うようになるだろう。それくらいフットワークが軽い。私は参政党をよく知らないが、非常にモダンなポピュリズムを表現している。その強みは過去の失言を訂正できる点にある。間違ってました!言える強さだ。

 国民民主は代表の脇が甘い。現時点では非常に魅力的だが、早晩スキャンダルで瓦解するだろうと思われる。榛葉幹事長はなぜ彼を担ぎ続けるのか。気になるところだ。

 話を参政党に戻す。日本でも右傾ポピュリズムが人気を集めるようになった。変な話だが世界的なトレンド追いついた。

 これはポストモダンと相対主義の疲弊だろうか。多様性を重視した結果だ。本当は立ち位置が異なっても共通の見解はあるよね、それを話し合って模索しよう...というのがダイバーシティの理想だったが、実際は分断しててもいいよね、というセカイ系な状態になっている。

 共通の価値観がないと話が進まない。多様性が細分化されると一見進化しているように見えるが実はそれは無意味な細胞分裂、あるいは価値観のコピペだ。停滞しているのだ。

 その閉塞感の打破が世界的な反動化なのだろうと思う。