2016年2月12日金曜日

リンク先の記事はあんまし共感できなかったので吐き出すように書いてたらこん がらがった。

都築響一さんの雑誌が売れないのは面白くないから、という記事を斜め読み。
http://toyokeizai.net/articles/-/103263?display=b

これに関しては、以前復活したスタジオボイスの中で現代を「名付けられることを拒絶している」と捉えていたのと関連するんじゃないかなと思います。

雑誌の機能って、それこそ現象に名前を付けることだと思うんですよ。名前を付けるっていうのは、視点を提供するっていうことです。起きている、もしくは既に起きた現象をピックアップして○○という現象が起きている、と報じる。
それで現場にいない人はその現象を知ったり興味を持ったりします。

よくバンドが「シーンに属してる意識はない」って言いますが、半分は本当だと思います。シーンていうのはメディアが「今の現場はこういう切り取り方をすると面白く見えてくる」という提案だからです。
シーンがあってバンドが集まるのではなく、バンド活動を「ある視点」から別の誰か(メディア)が見ているというのが「シーン」なのだと思います。

はい。
それで、面白そうなものをピックアップしていくと必ずそこから漏れる物事があります。実はそこが面白いんだよね、というのが都築さんのお話でして、それは僕らもインターネットを通じて知ってしまった。

シカゴのゲットービート、ジュークの配信を見ているのが日本人ばっかで、コメントが日本語で書かれるけど配信してる本人達には何が書いてあるのかわからなかった、というエピソードが割と好きなんですが、そういうことが沢山起きて、そうなると紙媒体のフットワークではついていけなくなってしまうんですね。ジュークなだけに。
(ジュークの兄弟的な音楽ジャンル"フットワーク"を用いた高度なジョーク)

まとめようと思った時にはもう漏れが大量に現れてしまう。しかも極めて魅力的な漏れが。

だから、新しいものを伝える手段としての雑誌は厳しいと思います。

いっぽうでやはり「視点を提供する」というのは依然として有効だとも思います。

音楽関連の書籍で「ディスクガイド」というものがあります。定義は様々ですが、僕は「音楽の聞き方を提案するもの」だと思っています。

やっぱり腰を据えて音楽を聞こうとするとディスクガイドに行きつくんですよ。「私は私の好きだと思った音楽を好きなように聞く」という方もいらっしゃいます。そんなガイドブックなんかアテにしないで自分のセンスでチョイスするという方です。
それは間違いではないですが、そういう方々には「何でも聞けるというのは何も聞いていないのと同じ」という言葉を送りたいです。

何かを知ろうとする時に知り方というかそのジャンルへの切り込み方ってのがあります。

以前シカゴハウスに興味を持ったときに「シカゴハウスについて教えてー」と音楽に詳しい方に尋ねてその人を困らせたことがありました。
後日「TRAXのコンピを聞いたんですけど~」というとその人は次々にシカゴハウスについて教えてくださいました。とっかかりってやつですね。ジャッキンスタイルから入るのとディープハウスから入るのとではオススメの仕方が全然違ってくるはずです。

ガイドブックが教える「モノの見方」ってのはいまだに有効だと思います。別に動画や試聴ファイルが貼付されてなくても全く構わないんです。

紙媒体によるまとめは有効だし、でも名付けられることを拒絶するという状態もなんとなく理解できるし、と頭がこんがらがってきたところで今夜はこれまでにしときます。

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