2021年3月11日木曜日

  もう書くことも無いんだけど、311はテキストを打ち込む。


 10年が経った。新婚ホヤホヤで経験した東日本大震災の記憶は薄れる一方だ。そしてNHKの特番によって記憶は書き換えられていく。当時そんなことは思っていなかったのに「そういえばそう感じた」という記憶に紛れ込んでいるんだろう。もう自分では判別できない。


 家屋に挟まれた親を見捨てざるを得なかった子と、「置いていかないで」と叫んだ親のエピソード以上のものはない。漠然と「親なら"私を置いて早く逃げなさい"と言うもんだろう」と思っていたがそんなことは無いのだ。自分にそんな危機がおとずれたらどう言うのだろうか。答えは出ない。


 10年か。洋服のサイズがすっかり大きくなった。ビッグシルエットの流行でSサイズでも大きい。リアルに感じる時の経過は洋服のサイズ。僕の10年はそんなもんだ。


 2020年のCOVID-19による混乱。2011年当時自民党が政権を担っていたらどうなったろう。感染症以上にスピーディな判断が求められる地震と原発事故を、自民党政権だったら

もっと上手くやっていたのだろうか。2020年を振り返るにとてもそうは思えない。いや同程度だったんだろうな。当時なら谷垣さんか、彼とて「俺は原発に詳しい」と強いリーダーシップをアピールしたかもしれない。


 COVID-19において震災の反省が活かされなかった。「誰も答えを知らない状況をどうしのぐのか」。もちろん、最善の答えを選択し続ければ最高だ。だがそうはいかない。とすれば間違いや問題点があれば少しずつ修正するのがいい。例えば体温37.5℃4日以上のガイドラインなんかは誤りだった。本当はそれを認めて修正すれば良いのだが当時の厚労相は市民が勝手に誤解したとした。以降、政府の発信は政府が責任を取らないとして市民に認知された。感染者が減らない理由は実はそこにあって、市民が本気にしていないのだ。政府の言うことを真に受けたら騙されるのだ。


 誰も答えを知らないことを間違っても責めない。むしろ誤りを認めた方が支持率は上がる。誤っていた点を認めないことで不安は増幅される。問題点は早めに公開した方が傷は浅くなる。震災と昨年来の混乱の教訓はそのことに尽きる。


 ああ、持続可能社会なんかも震災を契機にしてる気がするが、疲れたので寝ます。

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