2024年12月4日水曜日

田中とキッド A

 田中宗一郎がレコードの万引きをしてない同年代は信用できないという旨の発言を投稿し、炎上しました。うーん、わからんではないけどね。「俺ワル自慢」。で、これを2000年くらいに『snoozer』に書いていてもあまり違和感を感じなかったでしょう。

  今では思い出すの難しいですが、かつては若い時の悪行は勲章だった。「俺も昔はワルだった」とほぼ全ての成人男性が語った、騙った。この価値観を任侠もの・清水次郎長にまで遡ることができるかもしれませんが、直接の影響はヤンキーブームでしょう。紡木たくとか。ごめんこのカルチャーは全く知りません。しかしほとんど知らない俺が『今日から俺は』の単行本を買っていましたし親戚のお兄ちゃんが『押忍!空手部』を買っていました。それから湘南純愛組だの特攻の拓だのビーバップハイスクールだのファンキーモンキーティーチャーだのタイトルが苦もなく浮かぶのですからかなり巨大なムーブメントだったのだと思います。影響力はかなりあろうかと思います。

 そのカルチャーに終止符を打ったのが2005年のあびる優だった、というご意見にははっとさせられましたね。

 2005年を境にヤンキーノリはダサくなった。そうなんですよ。冒頭に2000年くらいなら雑誌に書かれていても違和感を感じなかったと思う、って書いたとおり、やっぱり自分の感覚とも合致しています。

 そして2024年に60のおじいさんが「万引きしてないやつは信用できない」と曰うことはちょっともうダサすぎて可哀想です。これが共感性羞恥! ていうか老人の万引きのメンタリティってこれなのかとか、余計な心配をしてしまいます。

 またこれも他の方が指摘されていたのですが、「俺ワル」をダサいと言う人が周囲にいないんだなというのもなんか切なくなってきます。あ!ちょっと今検索していたら本人が「つか、どっかで燃えるかもですね(笑顔の顔文字)」と書いているのを見つけてしまい俺がとても恥ずかしがっています。わ!わ!ださ!イキリ老人!

 で、これを話題にしているの氷河期世代だけだな。若い人たちには全く関心がない事柄だ。まあそれだけ影響を受けた人が多いんです。いやしかし音楽評論家ってなんか偉そうですよね。宇野維正とかもやばいよね。なんなんだろ、何者でもないくせに。「UKロック芸人」とかに取って代わられればいいと思います。

 久しぶりに田中が話題になった少し前にレディオヘッド『KID A』がトレンドに上がっていました。芸人の永野がピックアップしていたのかな。永野は面白おかしく語っているんでしょうけど当時はエレクトロニカが流行っていて、またポストロックがピークくらいだったと思います。だから多くの人は『KID A』をすんなり受け入れていました。拒絶反応はほぼゼロだったと思います。もちろん「レディオヘッドがこのアルバムを作らなくてもいい、『OK コンピューター』の続編が聞きたかった」という人は確実にいたと思います。

 スカしたアートスクールっぽいやつがレディオヘッドを聞いているのがイヤだった(笑)と永野はおっしゃっていましたが、洋楽聴くなんざスノッブな行為なんですから永野も相当スカしてたんだろうなと容易に想像がつきますね。

 それから、俺たちはレディオヘッドをシリアスに受け止めることを楽しんでいました。レディオヘッドと田中が書いた彼らの記事から政治的・社会的な知識を得た者は多いのです。パレスチナのこととかフェアトレードとか。だからレディオヘッドの作品はシリアスに受け止めるべきでした。そしてそれを俺たちは楽しんでやっていました。「真実が語れているんだ」ノリです。陰謀論とか都市伝説なんかとはまとテイストが異なります。もともと暗いバンドでしたし、深刻に聴くのが似合っていたんだと思います。

 もう20年が経過し、風化や歪曲と記憶喪失が進行していますが覚えている限りを記述しました。『KID A』のヤバさって曲じゃなくて死ぬほど売れてるバンドがしれっとリリースしたことなんですよね。ていうか当時あんだけ暗い曲でめちゃくちゃ売れていたことを思い出すと相当に異常な時代だったんだなと思います。

 で、久しぶりに聞いたんだけど、問題作ではなかったですね。シリアスに受け止めるプレッシャーがないんでむしろ心地よいサウンドでしたよ。なんか意味を漂白したというか、いい意味で作品が枯れたというんでしょうか。散々擦られたんでもう素直に聴くだけなんですよ。そしたら非常に気持ち良い音をしていました。

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