買っておいたグラタンと寿司のカートリッジをポケットに突っ込んで俺は外へ出た。家を出てすぐの路地を照らしていた街灯が切れたようだ。通りがいつもよりさらに暗くなった。暗い道を俯いて進むといつものところで額に光を感じる。フードスタンドは今日も青白い光を放って俺を迎えてくれる。スタンドのガラスの引き戸を開ける。ここは元々はコインランドリーだった。
コーヒーメーカーに似た機械にスマートウォッチを当てて料金を払い寿司のカートリッジを差し込んだ。1.8ミリ径の射出口からニュルっと原料が吐き出され、それは受け皿に落とされる。射出口は左右に動き原料は積み上がる。やがて握り寿司の形状に成形される。かつて寿司は高級な食べなだったそうだ。現在、魚のすり身と米粉を原料にした寿司はどちらかと言えば身近な食べ物だ。
3D寿司が乗ったトレイを手元に取り、次はグラタンカートリッジをセットした。魚のすり身と米粉と豆乳が原料だ。
グラタンがプリントされるあいだはニュースを聞くことにした。移民向けの平易な言葉のラジオ番組だ。
通信免許制度以降、ジャンクネットで情報を入手するのは難しくなっている。免許無しでアクセスできる回線・ジャンクネットは無法地帯化が著しい。ネット記事はほとんどエロ広告で埋め尽くされ、記事は1時間もしないうちに跡形もなく改ざんされてしまう。免許取得者がアクセスできる回線は整備されているが、一般市民が見ることは少ない。免許試験がやたら難しいし試験料も高額だ。俺もまともな回線でネットを見たのは高校の授業が最後だ。
だから一般市民がまともな情報にありつくのにいちばん手っ取り早いのがラジオになった。
「...市内に住むシマダ...さん74歳が全身に火傷を負い病院に運ばれました。シマダさんは病院で死亡が確認されました。警察は自殺と見て捜査を進めています」
2年前に老人が秋葉原で焼身自殺を計り、その動画が拡散された。やはり数日したら老人に火がついてまもなくおかしな動きをする猫が充満する動画に成り代わっていた。
秋葉原での焼身自殺以降、全国でこれを模倣する老人が相次いでいる。10人は行かないが6人くらいいた気がする。
また老人の暴徒化も問題になっている。彼らはステッキ型の警棒、いや警棒並みのステッキと言うべきか、とにかく物騒な杖を持ち歩いては通行人を襲っている。彼らの世代はまともな仕事にありつけないまま老後を迎えたものも多い。年金もなく蓄えもない。万引きするか死ぬしかない。だったら人を襲うのも当然の選択肢だ。
彼らが悲しいのは子供時代はそれなりに豊かな時を過ごしている者が多いのだ。皆大学へ行ったらしい。それでちょうど不景気の折に社会に放り出されて使い捨てにされた。俺たちより高学歴の乞食老人も多い。彼らは大学まで行って乞食になるしかなかった世代なのだ。
玉汝週報(ぎょくじょしゅうほう)の発売日だ。ラジオで「玉汝週報によりますと」という文言が聞かれ思い出した。フードプリントスタンドの隅に置かれた販売機に視線を写した。スマートフォンをタッチして玉汝週報を買った。「艱難汝を玉にする」という諺からつけられた週刊の新聞。
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