その顔や姿形については、くわしく言いたくない。思い出しただけでも気が遠くなるからだ。
(「ダゴン」『狂気の山脈にて』)
ラブクラフトの『狂気の山脈にて』を拝読しています。いやぁ、スルーしてきた本が多いですね。
読んでいていいなと思った表現が上記の引用。ラヴクラフトはこの「言わない・書かない」が多いです。仄めかすではなく「このことについては書きません」と明らかに書く。と思ってたら書いてました。書いてないの「ランドルフ~」くらいや....すまんラヴクラフト。
私はあれ--あの声--が何だったのかを申し上げるつもりはありませんし、どんな声か詳しく説明することもできません。
(「ランドルフ・カーターの陳述」)
名状すべからざる博物館を飾る最悪の戦利品は、その一部すらも列挙するわけにはいかない。
(「猟犬」)
それを書くのが小説表現とちゃうんかい、と思いましたが実にあっさりとしています。この、"書くのも悍(おぞ)ましい"という表現それ自体が一種の形容表現になっています。俺は"列挙するわけにはいかないもの"をでろでろ・ぐちょぐちょと描写していくことが小説を書く楽しみなんじゃないかと思っていました。しかしラヴクラフトの書きたいことはそこではないようです。明らかに異常な状況がごく普通に状況に入り込んでくることの気色悪さがいいのです。「ランドルフ〜」にいたっては先に行ったヤツが「ランドルフ!こっちにきたらあかん!こらあかんでぇ!」と言ってるだけでランドルフは本当に行かないし。
と、ここまで文庫本の1/4も読み終えていない者が語っております。
でだ。これはこれで、いいなあと思います。文章がねちねちしているので「淡々と」というのとはまた異なるのですが、余韻というか落ち着かない読み心地が怖くていい。これはいまのSNSで皮肉屋文庫さんとかが書いているなんだか意味がわからん怖い話に繋がっていきます。尻切れ独特の怖さというのがあります。
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