先日先輩のレコードバーが一周年ということで恐れ多くもDJの真似事してきました。
ブリジット・フォンテーヌ"ラジオのように"。かけましたねー。これを聞いた常連さんがこのアルバムを買ったそうで、まさかあの泥酔プレイが響いていたとはと恥じ入り、そして誉れを感じました。この曲は永遠にかっこいいですね。ファンキーですらある。時空を超える曲です。
デッド・ケネディーズ"キル・ザ・プア"、アタリ"キッズ・アー~"、ヨラテン"ニュークリアウォー"など。友人曰く「選曲が左翼♡」とのこと。ああ確かに。
なんかね左翼的であることから距離を置いていたんですよね。中島岳志のリベラル保守宣言がきっかけだったのかな。一発逆転はない、地道にやるしかないって説明にぐっときたんですよ。
それから左翼の排他性にも辟易としていたかな。この傾向はSNS以降により先鋭化してると思うんですけど、舌鋒鋭い発言→ツッコミが繰り返されてどんどん狭量になっていっています。狭量化が著しいのがフェミニズムで、女性が敵になってるでしょ。
SEALDsも惨敗。内田樹は「日本は『東洋のスイス』とかのたまってボコボコ(これは俺も意味が読み取れない)。
正直左翼は死んだかなと思っていましたが、選曲に思想が滲み出てしまう僥倖。
そうなんだよね。ネットの自称保守に中島岳志の寄り添う姿勢を感じなかったし、今も与党連中の言動の殆どにムカつく。グレタはアホだけど彼女をアホにしたのは執拗な揚げ足取りだ。万博?カジノの下準備だろ。税金下げろよ。と同時に再生可能エネルギーの脆弱さやリベラルを自称する連中の排他性を憂慮している。けど自分はやっぱ保守や中道じゃないんだよな、と(あ、れいわは嫌いです。あれは毒)。
なんか自分の漏れ出す意図を感じられたのが良かったです。レコードは定期的に外でかけるべきですね。
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