昨夜は眠たくなって思わず話を引っ張ってしまいました。
さて。
ファッションに興味がないという言葉はそれほど新鮮な言葉ではありません。しかし、副詞が抜けているため、非常に尊大に聞こえてしまう可能性があります。
なぜ尊大か。この言葉を字面通りに捉えると、「自分は着飾る必要がない」となります。つまるところ「自分の内面を評価せよ」 であり、「自分は内面の良さが外にまでにじみ出ているだろうからきちんとそれを感じ取れ」ということに他ならないからです。
ファッションは、ざっくり言うとそれ自体が挨拶である、という側面があります。ちょうどこれを思いついた土曜日の町田でパンダの着ぐるみ(寝間着?)を着ている若い女の子とすれ違いました。少し前にピカ○ュウの着ぐるみみたいなのを着るのをテレビで見たことがありますが、あれです。私は彼女に話しかけることはありません。それは彼女が私みたいな人間とはコミュニケーションをとらないというメッセージをそのファッションにのせているからです。
もうちょっとわかりやすい例としてチンピラの格好があります。あの格好を見たらとりあえず近づかないようにするでしょう。相手もまた無用のコミュニケーションを断つというメッセージを載せているのです。
私はタイトなパンツ、シャツをよく着ます。そしてパンクスのように見えないようにカーディガンを羽織ったり、全体的に柔和な印象を持たせようとします。タイトなサイジングは清潔に見える気がします。副次的にピ○チュウの着ぐるみを着た女の子をコミュニケーションの外に置こうとしています。
ここまでは副詞(形容詞か)が抜けたファッションに興味がないという話。実際にこの慣用句を使うときには華美なファッションに興味がないという意味で用います。
私は逃げ口上でファッションが好きと言っていますが、興味がないと言ってのけるのには興味があります。
なぜなら、音楽に興味がないのならCDやレコードを買う必要は全くありませんが、ファッションに興味がないからと言って服を全く買わないわけにはいかないからです。
ここでファッションに興味がないという言葉にはいくらかの含みがあることがわかります。
1.着心地、防寒などの機能を重視する。
2.ファッションなど興味がない、というファッションがある。
1.に関しては「ファッションが好きだ」という人でも重視する人が多いだろうと思います。ノースフェイスなんかはその筆頭、でしょうか。2.は改めて書いてみましたが無印良品愛好家の何割かはこれですね。この際断言しときます。
2.「ファッションなど興味がない、というファッション」はその洗いざらしのシャツに、2サイズ上のパンツに自分はチャラついてないというメッセージを載せています。実直さというアピールを、ファッションが好きという人間と同じ力量で服に込めています。
ふう。ここまで書いてここ数年の自分を振り返ると「その間」が存在することがわかります。無難にあわよくば格好良く見せたいが、(レコードの買い過ぎ)で洋服にお金を回せないのでファストファッションに走る。
いろいろ書いてきて、実は最後のが大多数を占めるのではないかと感じてきて、言いようのない徒労感に教われています。いやでも書いたからこそわかったんだと自分に言い聞かせてここで一度締めます。こんなんばっかだな、私の文章。
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