2011年10月12日水曜日

飽くまで空気を読む

 深夜にMくんがツイッター上にアップしてたのを偶然拝見しました。タイムライン上のリンクなんてほとんど見ませんが、たまにはいいことがあります。
と、書いていて思いましたがスパムのリンクだけ貼り付けたツイートとは、非常に性質が悪いものですね。

RUMI"A.K.Y"。
 空気読むという風潮がコミュニケーション不全、ひいてはいじめの温床ですらあるという鋭い指摘です。

 確かに空気を読むという思考作業を効率化していくと、何もしゃべらない、何もしないというのがもっとも効率的な運動になります。突き詰めていくと。
 何のアクションもしない事が「空気読んでない」というケースもありますが、そういったのっぴきならない事態になる前に空気を読んで「選択を迫られない」状態を維持すること、これも空気を読む事の役割でしょう。

 オカダトシオが「仲間は必要だが友達は要らない」と言う時、友達とは「延々と『空気を読む』という空虚な作業を繰り返す人間関係」の事を示しています。おそらく。
 対になる「仲間」はコミュニケーション、時に選択を迫るコミュニケーションを交わす関係だと言えるでしょう。
 
 RUMIさんの歌詞はウィットに富んだ言葉を並べながら、「空気を読むことの閉塞感」を暴露します。そして「敢えて/空気/読みません」というプロポーズ。

 何よりRUMIさんが素晴らしいのは「読めない」のではなく、「読まない」、つまり空気を読んだ上で、そこから逸脱するという点です。
 「空気を読む」を「状況判断」という意味で用いるならばラッパーにとって空気を読むのは必須の能力でしょう。空気を読めないのはプログレの人だけで充分です。パンクスも本来は空気を読めないといけません。
 それで、状況を把握した上で核心に迫ってしまう。ふざけて、煙に巻いて、すっと懐に入ってしまう。

 もう一点素晴らしいのは「空気を読む」事自体に対して回路を閉じていないことです。
空気を読めないと「空気を読まない事も出来ない」。当然と言えば当然なのですが。

 以前メモをしておいた事なのですが、「空気を読む」って完全に守備的な態度ですよね。絶対に必要でこれさえしておけば負ける事はない。けど勝てない。勝ち負けに言及してしまうとちょっと本質から逸れてしまうから言い換えよう。点が入らないからつまらない。守備から一人人員を割いて相手ゴールに近付かないと、リスクを冒さないと点が入らない!
 これは「自分はこんなに空気を読んでいるのに評価されない」と言外に怒っていた知人の観察によって得られた知見。やや余談だったかもしれません。

 が、しかし。私としてはなぁなぁのモラトリアムを維持したい気分も多分にございます。きついですもん、選択を迫られるの。ただ、保留している状態に自覚的か否か、その点は大きく異なりますから、意図して保留したいところです。

 戦略的にコミュニケーションをとるというのもずいぶんみみっちい話です。ただ私は「飽くまで空気を読む」ことを自覚的に選択しておきたいです。そしてどういった選択を保留しているのかに自覚的でいる事。それがもの言えぬ小人の戦闘的な態度ではないでしょうか。

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