●佐村河内守-Wikipediaいやー、仕事が早いです。嫌になります。
●佐村河内守さんの「耳が聞こえないと感じたことはない」 ゴーストライターの会見全文
今ひとつどうしてこういう問題が湧いて出てきて、ゴーストライター氏が会見をするに至ったのかよくわかっていません。
それから、ピアノも稚拙で楽譜も読めない人が"作曲家を騙る"ことが可能なのでしょうか。まず「作曲を依頼する」という話にならない気がしますが。
不思議です。
そもそも、何が問題なのでしょうか。
今回明らかになった"事実"は別にたいしたことではありません。(事実なのかも疑問ですが。)
作曲者とは異なる人が曲を作っていることは日常茶飯事です。たとえば日本のクラブミュージック界でもままあったりするそうですよ。そのこと自体はほんとどうでも良いです。
今佐村河内さんに怒っている人がいるとしたら、たぶん「感動を返せ」ですよね。でもその"感動"とは、障碍者が交響曲作っているのが良かったのに、という、ね。そう考えるとけっこう感動も浅薄なものだったんじゃないかという気がします。返す必要がなさそうです。
それから「騙された」という憤りです。
作曲家 佐村河内守氏につきまして
【お知らせ】下記商品記載内容の誤りに関して
どうだろう。NHKもコロムビアも、ゴーストライターも代理人も含めて、そのほかマネジメントとかやってる事務所もあるでしょう、その辺をひっくるめた「プロジェクト佐村河内守」だったはずで、騙していたのはグラサンロン毛のおっさんだけではないはずです。
そう考えるとゴーストライターに腹が立ちます。なんか無理矢理加担させられた被害者みたいな面で出てきましたが、ファンを騙していた張本人なのだからもう少し非難されるべきだと思います。彼を含めた全員が騙し続ければ問題はなかったわけですから。
佐村河内氏の構想を伝える図。なんか、これはこれで雰囲気あります。
3:54
(ここから追記)
なにが問題だったかというのを自分なりに考えていて、まとまらずに昨夜は寝てしまいました。
書いて寝て起きたらそれなりに浮かんだのでここに追記します。
問題は「『佐村河内守という物語』を変なタイミングで打ち切ってしまった」という点だと思います。飽くまで誰が曲を作ったのかは副次的な問題です。そして佐村河内氏は現状、むしろ被害者に近い(妄想含む)。
この"物語"のラストはいくつか用意できたと思います。まずは佐村河内さんが自ら発表する。これがベターだったはずです。
彼がそうしないのであれば数十年後に「実は彼の作曲ではなかったのではないか」というミステリー仕立ての本を出す。含みを残してどちらともとれるような終わり方をする本です。これでゴーストライターのプライドのみをフォローするという寸法です。
もっといい物語の終わらせ方があったはずです。
今回は本人に会見する機会を与えず(もう出来ないでしょう)、まだ忘れ去られていない、むしろ人気のあるなかでのリークでした。リークと言って良いでしょう。そしてかなり悪いタイミングで発表された一種の悲劇だったろうと思います。
最後に、このブログではゴーストライターの名前を書きませんでした。こいつもけっこうな食わせ物だと思っているからです。そういう炎上マーケティングにぼくは加担しません。彼はゴーストライターで十分です。
(15:00加筆)
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