・【画像あり】東京五輪ロゴデザイナー佐野研二郎氏パクリ疑惑 現在19種類が判明wwwww
来る東京オリンピックのロゴがリエージュの劇場のロゴと似てるんじゃないか?→おいおいパクリデザインざっくざくやんけこいつ、という記事です。
デザイナー氏を擁護する気にはなりませんが、ネット民(?)の警察力、っつーかリンチ力はものすごいですね。
でもこれポストインターネット・アートとして見ることもできるような気がします。"ポストインターネット"という単語は使うと頭が良さそうに見えるので使っていますが、実はよく知りません。
ポストインターネットをどう捉えているかといいますと、「インターネットがなんら特別ではなくなったということ」という感じですね。例えば目的地までの道順を検索すること、夕飯のレシピを検索するなど少し曖昧な知識をインターネットによって補完する行為は今やごくごく普通に行われています。
さらに日常の用語にもその影響は表れています。『考証要集』(文春文庫)によりますと、"立ち上げる"という言葉は「パソコン用語で90年代前半から次第に使われ始め、95年の「ウィンドウズ95」発売によって一気に広まった言葉で、それ以前には一切ない」とあります。信じられます?「企画を/組織を立ち上げる」なんてなんの違和感もなく使ってますよ僕は。
...というふうにインターネット(とPC)がごくごく日常になっている状況でネット上に転がっているネタを使用することをどのように意識するのか。海岸に落ちている流木を使うこととネット上の画像を使うことは本当に違うと言えるだろうか、音楽でいうところのサンプリングと同じ行為ではないのかという疑問にスムースに答えることができるでしょうか。
いや、僕もネット上の画像に著作権や肖像権があることや、サンプリングも許諾を得ているということは存じ上げております。
でも気に入った画像を保存することにあまり罪悪感は感じません。これはCDをテープにダビングするようなもんだから、わかります。ネットの画像を小売店がPOPに使うこと、これはネタ元にバレたら怒られるけど、義憤にかられることはあまりありません。「面白ければオッケー」。パーティのフライヤーにどっかから拾ってきた画像を使うこと、この辺りはなんとなくマズい気がするけど、パーティの規模によるんじゃないか?
動く金額の多寡と正義感は比例している気がします。
でも、たとえば某掲示板で生まれた多くの言葉がまんま使われていても「いい気がする」。むしろこれは俺が考えた言葉だなんて主張は野暮とさえ思えてきます。テキストとイメージの違い?
また、サンプリングを用いた曲、特にある曲のフレーズを使用した曲にたいしてパクリとは思わずむしろ編集のオリジナリティに感心するのですが、それと今回のことの差はどこにあるのでしょうか。オリジナルへの敬意とかオマージュとか、でしょうか。でも原曲に敬意を払っていたらブツ切りにはしないとも思うんですよね。うーん。
出来上がったものがかっこいいとか面白いとか、そういうのが大きいかもしれません。
僕も上記リンクの「パクリの証拠」を見て直感的に"マズいでしょ"と思います。と同時に「オリジナリティ信仰」みたいな態度にもうんざりするんです。なんにだって元ネタはあるわけで。
だからこの騒動がインターネットにおける権利をどう考えるのかとかサンプリングという技法は音楽以外のアートでどの程度許容されるのかなどを考えるきっかけになるとよいのですが、まあならないでしょう。
と、自分で主催したパーティのフライヤーをほぼパクリで固めた僕が書きました。
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