2016年11月11日金曜日

『辺境ラジオ』pp.325-326

すべての都市はそれぞれ固有の都市文化を持つべきだと思うんですよ。生態系としての安全を考えても、生物学的多様性が基本でしょう。今の日本の危機というのは、社会システムが過剰に均質化してしまって、「どこを切っても金太郎」的に標準化して、ただ量的な差があるだけになっていることだと思うんだ。「リッチ」な地域と「プア」な地域があるだけで、数値的には差別化されているけれど、質的には識別できなくなっている。この均質性が日本が元気をなくしている最大の理由だと思いますね。
都市文化はもっと個性的に散らばっていた方がいいと思うんですよね。東京には東京の固有の文化がある。大都市、国際都市ならではの無国籍な感じがある。無国籍で、ハイパーアクティブであれば、東京はそれでいい。「アクティビティ=価値」だとみんなが信じている都市があるのはぜんぜん構わない。だけど、他の都市もそれを真似することはないでしょう。別にいいじゃないですか。アクティブじゃなくても。「しっとりしている街」とか「深みのある街」とか「手触りがいい街」とか「優しい街」とか、いろいろな街があっていいと思う。



僕はすっかりアンチ東京に凝り固まっていたのでハッとさせられた。地価も高いしでも交通網は発達しているから、老人がみんな集まって住めばいいくらいに思っていた。

けれど東京は活発でいい。僕が住む街は東京にならなくていい。それだけだ。

活発さを礼賛した結果、街からはレコード屋が消えた。「そこかよ!」というツッコミが聞こえそうだが、ジャズを買おうとしたらブックオフに行くしかないのだ。
新宿から電車で一時間の場所を地方というのかわからないが、少なくとも僕の住む街がハイパーアクティブであろうとすることは無理がある。なんせそれだけの人がいないんだし。

毎年人口が20万人減少している、縮小している国の中で「しっとり」、「深み」、そして「成熟」は重要なキーワードだと思う。

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