2019年4月21日日曜日

 心を計数化できないもんか。と急に思いつきました。

 僕たちの思考は科学を基礎にしています。重さや長さ、温度など。ある点を"1"と決めてそこから測っているわけですね。

 で、科学、数字で表現できないものを"ないもの"としています。「非科学的だ」という言葉がありますもんね。幽霊とか。けど数字と数字の間には確かに何かがあると思うんです。

 幽霊というとインチキ臭くなるかもしれません。例えば「先人の精神」と言い換えたらどうでしょう。今の日本の憲法を作った人はもう死んでいます。ですがその精神、思いは息づいています。だから改憲に反対するとき、具体的な理由のすぐ横に"先人の思い"が潜んでいます。
 もっと身近なところでは家族の遺影をただの画像と思うことはないでしょう。画像を見たときにただの画像以上の想像力を掻き立てるのではないでしょうか。あるいは邪魔な遺品をどうしても捨てられない感覚とか。

 心、なんてどうでしょう。やっぱり数値化できない代物です。しかもこれは科学信仰の徒もその存在を認めているのではないでしょうか。

 感情というものがあります。これは科学である程度説明できます。要は脳内の電気信号ですから。ですが「なぜ悲しいのか」とかを説明しようとすると難しくなってきます。過去の経験と結びついているから悲しい。なるほど。ではなぜ過去の経験は悲しさを呼び起こすのか。

 僕は心という身近なものを語りにくい科学・数字を人類が「基本的な考え方」として採用したことにむしろ驚きます。いや、科学と数字は分けるべきか。そういや心理学って学問もあったな。まあいいか。

 ツラさってあるじゃないですか。同じ仕事でも辛く感じる人もいれば感じない人もいる。このツラさなんかは共通の言語で表現したい最たるものなのに、その言葉がない。同じストレスでもある人は"75ストレス"で他のある人は"12ストレス"など誰でもわかる共通の言葉があれば、あの人にはこの仕事が向いていないなとすぐわかります。けどそれがないから「根性がない」とか「自分で限界を決めている」などの"精神論"に走ってしまいます。科学で語り得ないものを"精神論”で片付けるってのもいかにもな感じがしませんか?

 例えばツラさをきちんと言語化、数値化、具体的な表現がされていれば自殺が減ると思うんです。

 思いつきでつらつら書いているからまとまってないですが、「科学的なものの見方」が割と多くの物事を見落としていることが伝わったでしょうか。科学と、科学で表現できないものって対立する概念ではなくて相互補完的なものなんですよ。

 自然現象の気色悪さを妖怪で表現する感じを大事にしたいです。
 

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