2020年1月14日火曜日

酒ばっか飲んでる話

アル中である。
いやほんと、熱あっても飲んでますからね。



なんでこんなに手離せないのか自分でも不思議ですが、「自己嫌悪を拭うため」ってのがでかい気がします。
僕は「自己嫌悪」とそれを抑圧するための「自己への過大評価」ってのがひしめいているので、こんがらがった自意識を沈静化させるためにアルコールを放り込んでいるのかなと思っています。沈静化というか見なくて済むようにするというか。

「旨いから」とあっけらかんに言えるようになりたいですわ。

その自己嫌悪にとっていいのか悪いのか、僕は個性を信じていない。というか誰でも自然に持ち合わせている(ゆえにたいした価値がない)ものだと思っている。

個性ってのはあらゆるインプットを編集したものだと思っている。全くの無から生まれた輝く宝石ではないだろうな、と。インプットの取捨選択には個人差がある。その個人差を辛うじて"個性"と呼ぶことができるんだと思う。

選びとった!などと考えてしまうとやはり貴重に思えてきてしまうが、選びとる基準でさえその時の状況・環境に左右されてしまう。そう、案外自分で選んでいないのだ。

だから、何故それを選びとったのかまで分析が進むと少し面白くなってくるかもしれないが、わからないこともままある。選択の基準の中には堂々巡りや逡巡、辻褄合わせや世間体が不可分に混ざりこんでいる。個性には実に多くのノイズが混じっているから、インプットの編集には多くの妥協が入り込んでいる。ノイズの少ない編集が、僕達が何となくイメージする"個性"に近いのかもしれない。

今書きながら「うーんと」と迷っている。書きながら少しずつ自分が何を考えているか探っている感じだ。この感じが好き。

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