アニメを知らない読者・視聴者を置いていくことも辞さないテンションで突っ走ります。原作者の大童さんが「オタクをターゲットにしている」という発言もある通り、あえて説明的なセリフを可能な限り省いているんだと思います。
それによって話のテンポも出ているし、リアルさが出ていると思います。リアルさって何よ、というのは「知ってる者同士が用語の解説をしない」ということです。アニメを知らない登場人物・金森はだから「求めた以上の説明は苦痛」と言って、アニメ話からは距離を置いています。
僕自身はどこに惹かれているのか。
結構単純なんで好きなものに向かって「とことん突き進んでいく感じ」、これに尽きます。
けど主人公は高いテンションで「やったるでぇぇ」と目標に向かって一直線に突き進んでいける性格ではないんです。始めたくてもなんだかモジモジしてしまう。けど仲間(友達ではないのだ)と出会うことによって"好きなもの"というプロジェクトが動き出す...!
この感じがもうね、いいんですよ。自分で勇気を振り絞った、とかじゃなくて自然と小さな奇跡が起こる。その奇跡を逃さなかったのが"プロデューサー"だったのですが。
原作者のツイートも面白い。特に興味深かったのはなぜ女子高生かというトピック。
あー映像研のジェンダー論が世間を賑わせてるけど、これはその本件のジェンダー論を把握している人向けにツイートしますが、問題の本質は「自分の支配下に置けなそうな女に反発する視聴者」とかではなく「女子」という記号が「かわいい」とセットになっているマンガアニメ文化の分脈に、— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) January 14, 2020
ビジュアル的に「可愛くない女子三人組」という記号を僕が投下したから「ん?なんだ?どう読み取ればいいんだ?」と混乱する視聴者・読者がいただけです。ビジュアルから可愛さを排してドタバタする人格は、アニメマンガ文化では男子の担当だった為です。そう評論しています僕は。— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) January 14, 2020
だから「支配」とか「女はこうあるべきという男の考え」とかではなく、性別が記号化して根付いてる表現文化がワシの漫画、あるいはワシの世代によって変わっていっているだけだと思いますよ。— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) January 14, 2020
「え!マント着て髭をはやして冠をかぶってるのに王様じゃないの!?宿屋の主人!?」みたいな。実際そんな王様の方が少ないけど、記号ではそれが正しい王様じゃないですか。でも他書そのイメージもアップデートされていきますよってさ。そんだけですよ。— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) January 14, 2020
ちょっと前に僕は「逆に感情移入がしやすい」と考えました。特に著者、原作者が男性の場合は。なまじ男子高校生を登場させたら「あの頃の俺」が蘇ってしまってキャラ正視できないでしょ。
この憶測は割と自信があります。じゃあ著者が女性の場合はどうなのよ、という問いへの回答はないのですが。
それとさらっと書いてますけど、"「女子」という記号が「かわいい」とセットになっているマンガアニメ文化の分脈"という点。文脈もさることながら「様式」として定着してますよね。僕も書くなら女子高生がレコード屋に行く話にしますわな。
あと、最近のツイッター界隈、ジェンダーの話がすんげー好きだよね。呆れる。
それはそれとして大童さんのリュックのデザインが最高なのでぜひみんなもツイッターをチェックしてください。特にリュックの製造販売している方々はぜひ。
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