2020年8月23日日曜日

 自己責任と自己決定と安心感


covid-19に対して恐れるべきかどうか。「お上のお達しがなくても自分の行動は自分で決めていこう」と言う人も出てきた。

政府の言うことを聞いていると行動をしない方がいいのか旅行に行った方がいいのかよく分からない。で、「政府はロックダウンするのか経済を優先させるのかはっきりせい」と皆が思い始めたのだが、「もう自分で決めようよ」と言い出す人も現れた、というわけだ。


ま、確かにそらそうなんだけど。「自分で決めようよ」というのは皆への呼び掛けではない。「俺は自分で決めるから干渉しないでくれ」ということだ。


「はっきりしてほしい」。何を?

「金銭面の補償はするから、感染拡大せぬように自宅に篭れ」

「感染した場合は治療費等の補償はするから経済活動を活発にしろ」

このふたつの方針のどちらで行くのかをはっきりしてほしいのだ。


新型ウイルスへの感染は村八分を意味する。新宿区が感染者にカネを出したが今考えると妙案だった。これで感染の自己申告が容易になった。

今、感染して近所付き合いが正常にできるとはちょっと思えない。ある程度予想していたが、「世間の目」は良くない方に傾き始めている。



そうなのだ。「世間の目」が気になるのだ。これを良い方に変えるのは「安心感」しかない。

安心感さえあればいくらでも自己決定できる。先に挙げたように、篭もるにせよ外に出るにせよ生活を補償してくれれば世間の目なんかあっという間に優しくなる。

それを中途半端な政策でカネを出し渋るから、なんとなく窮屈で不安なのだ。なんとなく我慢している気分になっている。だから他人にもちょっと我慢してほしくなる。そして世間の目は市民に我慢を強いる。


ワクチンが使えるようにならずとも、希望者がPCR検査を受けられるようにするだけで安心感は生まれるだろう。不安なのは自分が感染しているか分からないからでもある。


検査数を増やす必要はないとの言説もある。が、検査を受けられる体制は拡充すべきだ。予約制でもなんでもいいから。


経済活動活性化のカギは「安心感」にほかならない。それ以外の何を以てしても景気は回復しないのだ。


市民に責任を求める政府はいったいなんの責任を果たしているのだろう。

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