2022年4月14日木曜日

『ありきたり〜』を本棚から引っ張り出す。

 乳酸菌が100000000000個、Y1000を飲んでいる。睡眠の質が上がると謳われていて、まあ確かにそんな気がしないでもない。何より機嫌が良くなったというか、前向きになったというか。飲みすぎた翌朝に「まあ昨日は旨い酒だった」とポジティヴに回想した時は自分自身に驚いてしまった。

 パートのおばちゃん曰く乳酸菌とイソフラボンらしいので、引き続き健康的に死ねるように(≒病的に生きながらえないように)摂取するものに気を配りたい。

 厨二病のような文面になってしまったが、なるべくすんなり死にたいというのは素直な気持ちだ。

 さて、いくつか前の日記でブコウスキに言及したので『ありきたりの狂気の物語』を久しぶりに読んでいる。ブコウスキを知る前は短編というと星新一だった。だから短編の方がむしろ見事な、技術的にすぐれたエンディングを記述しているものだと勝手に思っていた。ブコウスキはちゃんと終わっている感じはない。というかむしろ星が異常に達者なのだろう。終盤に向けて盛り上がるとか、展開がどうのとか、そういうのを無視してどかどかと文字が続いていく。うまく終われていない、といえばふと浜岡賢次を思い出した。彼も「めでたしめでたし」みたいに綺麗にお話を終えられない。彼らによって私は「そういう終え方もアリ」だということを知った。

 話をブコウスキに戻す。彼の冷徹な視点だ。重心を低くし、現実を見据える。本当は見たくなかった汚いものも逃さず描く。眼光の鋭さと誠実さに私は魅了される。
 私は現実を都合よく見ている。歪めている。自覚できるくらいに見るもの聞くものを選んでそれを現実だと思い込んでいる。他人を侮るし、阿る。思いついたことの95%は口に出さずに黙っている。そうして様々な摩擦や軋轢を避けている。ブコウスキの視点とタッチにはそうした"調整"が一切感じられない。だから憧れる。

 齢を重ねてブコウスキからはどんどん遠ざかっているが、彼の著作を箪笥の奥にしまい込まずに本棚に収蔵していた。たぶん「これは読み返すこともあるだろう」と思ったのか、どうなのかは思い出せないが、とりあえず過去の自分の判断を誉めたい。

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