2022年6月18日土曜日

 年功序列でもいい。能力がその順番なら。大事なのは出来る人が上に上がっていけて出来ない人が下がっていく”功序列”なシステムであって、若い人を上に上げる事じゃないんだよなーと思う。だけど最近は年取ると上げちゃいけない的な勘違いシステムがよく出来るのでなんだかなーと思う。

 と思うじゃろ。2000年頃に富士通が全社に成果主義を導入したら、「評価に繋がらない仕事を誰もやらなくなった」 「管理職の評価が同じ職位同士なので馴れ合いになって客観的な評価にならなかった」 「結果として、成果主義が組織全体の生産性を下げることになった。」と本社人事部の城繁幸が書いている

 

成果とは。(極端に)イメージしやすいのはプロスポーツだろう。"勝利"という明確な目標があって、各選手の結果も数字で明確に表すことができるので評価しやすい。監督やヘッドコーチと呼ばれるリーダーの評価もわかりやすい。『マネーボール』では"評価に繋がらない仕事"、つまりこれまで注目されていなかった選手の数値に注目することが描かれていた。けどこれはプロスポーツ選手が徳の高い人というわけではない。高級取りの選手もきっと注目されていない数値が高い。というより評価に繋がらない数字も気にしないといい選手になれない。

 上記twで挙げた「成果主義の失敗例」は自分達の仕事をプロスポーツになぞらえてしまった点にあるかもしれない。もしくは、経営側が『マネーボール』的な視点を持っていなかったことが原因だろうか。社員をプロ選手に当てはめてしまったのが悪いかもしれない。少々わかりづらいが、プロスポーツ選手は商品だ。靴メーカーで言えば靴。プロスポーツの世界でも裏方さんはおそらく成果主義で評価されていないと思う。

 これに関して私はこう書いてしまった。

成果の定義が企業の売上とか利益だと失敗しそう。個人の幸福の増大こそ成果、とかにしないと。難しいだろうけど。

 我ながらいいことを書いたなと思う。 成果ってなんだろう。自社の商品が売れた。その時に誰を評価するべきなんだろうか。その商品を作った人だろうか。売り込んだ人だろうか。商品を作る機械を作った人だろうか。という考え方をしてしまうと、人事や総務の活躍は絶対に浮かんでこない。じゃあ人事も総務も不要だったかというとそんなことはないだろう。

 成果主義についてあれこれ上手いことを書こうとしても本質から遠ざかってしまう。企業の成果とは従業員の幸福の増大のみだ。ああ青臭い。だがこれを追求しなければならない。お客様の幸福は副産物だ。従業員が幸福になった結果、顧客も満足する。このことから目を背けてはならない。背けるから資材費の高騰を商品価格に転嫁できなくなる。

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