2023年1月16日月曜日

 今日はダラダラ残業しました。来季の生産計画を立てているのですが、計画数がキャパシティを超えている状態でした。結論は「Aの生産余剰を削ってBの余剰を確保する」というありきたりのものでした。結論自体はごくごく当たり前のものですが「誰がリスクを負うのか」というをめぐって時間をかけた形でした。その時間の浪費はしかし必要でした。

 リスクを負う判断をした自らした場合、失敗(=リスクの顕在化)の責任も負うので気が重いものです。最近、上司が権限を各員に振り分けている印象があります。小さい企業ということもあり、これまではトップダウン型の経営でしたが近年はその綻びが所々に見られているように感じられました。そのことへの対策でしょうけれど、こちらとしては気楽にやりたいのでいい迷惑です。


 連なった投稿の一部で概ね良いことをおっしゃっていますが最後の一文には多くの疑問を持ちます。ムカつきます。状況が異なります。「全ての国民が社長の状態」になったことは一度もないことから明らかなように、雇う人がいれば雇われる人がいるのは今に始まったことではありません。義父は公務員で自分の商売など持っていないので負け犬なのでしょうか。私には非常に立派に見えます。それなりの人がそれなりに生きていける、極めて運の良い時代にたまたま居合わせただけにすぎないのにずいぶん偉そうです。自分の仕事を持たなくても生きていけるようにするのが現代における彼の仕事のはずなのですが、責任を果たしているのでしょうか?

 給料が少なかったらバイトすりゃいいじゃんと前職の上司からいわれたことがあります。皆終電を逃す勢いで残業していて、残業代が出ない状態だったのに。上司が下っ端だった時代は定時に上がってバイトを掛け持ちできました。収入も得て異なる世間を覗くチャンスもあったというわけです。上司の上司は残業代をカットしてこき使う人間だったのでしょうか、その反省はバッサリと切り取られています。

 現在、このように世の中を憂えている人は状況が変われば圧迫面接を平気で行う人間だということを、私たちは忘れずいなければなりません。

情けないことばかり書いていて恥ずかしいですが、今ちょっと思いつきました。経営者もまた求められることが変わったのです。かつては堂々とし、厳しく接することがベターでした。今は将来が見づらい時代、まずは従業員の不安を取り除くことが求められています。というより厳しく鍛えても、将来それが役に立たない可能性が、以前よりも僅かに高くなってしまっている。おそらくそこズレがあるのだと思われます。

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