2023年4月17日月曜日

 SNSをつらつら見ていて、そういえば最近の政治家は辞職しなくなったな、と。数字で比較したわけじゃないから感覚だけど。その代わり離党とよく聞くようになった。有権者からすると「いや知らんがな」だが、当人にとっては一大事なのかもしれない。この辺は小選挙区制によって党の権力が強まったからかもしれない(以前チョロっとここにそんなこと書いたな)。

 案外正義が軽くなったからかもしれない。特に最近は個人的な正義が振りかざされて何もしていないのに肩身が狭くなった。...気がする。最近も化粧品のブランドが「指で目を吊り上げる所作」を広告動画に入れた。これは欧米人などがアジア人を蔑視するジェスチャーとよく似ている。そのため中国で不買運動につながった。ほんとかよこの話。指で目を吊り上げる所作は、挑発的な色気を表現しているはずで、まずまずの演出だと思うが、その動きがアウトということで正義の鉄槌が下された。

これはほんの一例でインターネットで行われるあらゆる揚げ足取りのエクスキューズに正義の語が用いられてしまい、正義が偏屈で面倒な、言うたら「うざい感情」くらいまで格下げされてしまった。余談だが義憤の語からもかつての迫力が失われた。

政治家の胡散臭い行為を断ずるのも正義だった。が、正義にそのパワーはなくなったというわけだ。正義は忙しくなった。マスクをつけてるかどうかとかワクチンは打てだの打つなだの、ベビーカーが邪魔だ邪魔じゃない、女だけど男で男だけど女でレズを認めろとかありとあらゆる意見の後押しに正義が浪費される。

例えばモリカケ問題。当時の安倍首相周辺に瑕疵はなかったのだろうがあんだけ騒がれた時点で辞職してもいい。「世間をお騒がせした」なんて常套句があるくらいだ。つうか野党もそれ狙いだったと思う。が、辞めない。まあ辞めなくて当然でもあるんだけどね。

義に殉ずるには「義」があまりにも安くなりすぎてバカバカしくなった。逆に殉じたらバカにされるレベルだ。んー、空気感とか雰囲気で腹を切る必要がなくなったから、良いことかもしれない。だが一方で大文字の正義とでも言うのかな、ヒーローがポーズを決めて振りかざすようなコモン正義をもう一度取り戻す必要も感じている。

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