・「俺」と「ですます」
すこしの間だけ一人称を「俺」にしました。"俺"とのアンバランスさをあえて狙って「ですます調」にしました。「俺」はどこか傲慢で、けれど自信があるようにも聞こえます。ですますは、ねえ、難しいですよ。調子に乗りやすいタチなのでデスマスを用いるくらいでちょうど良いとは思うのですが、いかんせん上手に書けません。やはり平文(普通文?)をですます調に直すと、文章自体が変わっていくんですよね。
しかし、ネット上であればですますを付ける程度の丁寧さがあってちょうど良いと思います。SNSなんか文字数の制限があるからです・ますを使わない方が多いのですが、むかつく投稿の方が多いですもんね。松岡正剛の文章を読むと「です・ますは冗長だよな」と思わされますが、我々凡夫は謙虚でいるべきだと思います。
●日本語の一人称代名詞 すごい!こんなにあるんですね。
しかしどうしたものでしょうか。やはり「俺」に強い違和感を感じてはいるんですが、楽しんでもおります。これを書くことで「俺/ですます」をやめようと思っていたのですがもうしばらくやってみようかしらと思い直しました。
・ストレスが原動力か
仕事で「頭を使え」と言われて凹んでおります。そうするとブログに記事を書くんですよ俺。なんかすぐに「退職・無職」が頭をよぎるんですよね。逆に短絡的に過ぎる自分に苦笑を禁じえません。
かつて生きる力が不足している気がしてCD屋をやめたのですが、ちょっとやなことがあると虚業に身を投じたくなります。私にとって文筆業は虚業です。あらゆるライターさんを敵に回しました。いや、むしろライターさんの方が虚業である自覚が強いでしょう。たぶん。
自分が従事している仕事がエッセンシャルかというと全くそうではありません。会社がなくなっても誰も困らないでしょう(私は次の仕事先が見つけられないので困るでしょうけど)。けど商品を作ってそれを売るので働いている実感は得やすいです。ただ、俺はこういう仕事にむいていないのよく思います。それよか野良犬をニホンオオカミだと騙って売るとかしていたいです。いや違いますね。野良犬をオオカミだと売ろうとする人にスポットライトを当てたいです。...虚業性が増したな!
・そういうわけで虚業への願望
最近、先輩がやっているバーで俺の絵をポスターにしてくれました。申し訳ない気持ちでいっぱいです。逆に気を使わせてしまったなと。その一方で死ぬほど嬉しいです。嬉しい。嬉しすぎます。生きてる意味があったなと実感したくらいです。まだ見に行けていないので早く見たい!
俺にとってはこれ以上ないご褒美です。このご褒美が心を色んなところに向かわせているんだと思います。いやまあ、イラストレーターになるとは思いません。そこまでちゃんとしていないし。しかし、絵を描くために手を動かすというのは今後も続けていきたいです。
動画の絵からも多少伝わると思います。俺はふざけていないとダメなんです。現在は全然ふざけられていません。それがむしろストレスかもしれません。あ、ひっさしぶりにDJミックスを作って嬉しかったのって、久々にふざけたからかもしれません。嬉しかったのと同時にストレスも感じたんですがそのストレスは「うまくふざけていない」点なのでは...と思うと妙に合点が行きます。
このふざけるという感覚が難しいんです。真面目にふざけた方が面白いというのが、おそらく真実だということ、これが難しい。だから気を抜いているとふざけられない。いや、真剣に気を抜かないといけません。まあ、個人的にはグダグダにするタイプのおふざけも好きではあります。
・書いているとなんかわかってくる気がする
いや、ストレスが溜まるととりとめもなく文章をタイプするんですが、だらだら書いているとたまに何か見つかりますね。さっきからタイトル書き直しつづけてますから、本当に自分が何を書きたいのかもわかっていないんですよね。
あれこれ書いて自分自身が「ふざけ不足」だと思い知らされました。「このもやっと感はなんだろう、どうしたら晴れるんだろう」と書きながら連想していくイメージです。今回自分が引っ掛かっていたのは「虚業へ向かいたくなる心境はなにか」という点でした。ああーそうか。ふざけてないのか。
いやー勝手に腑に落ちて申し訳ありません。このメソッドを何かに使えないかな(虚業の芽生え♡)。
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