2025年4月12日土曜日

26-2025(途中)

 地域FMの募集があったんでちょっと心動かされてしまった。けど、「マニアックな音楽を紹介したい」なんて腐るほどいるだろうし、採用されないだろうし。であれば恋愛相談だな!なんでそうなる。

 と、いうのも恋愛のプライオリティは落ちているのだが放っておくわけにもいかないからだ。お医者さまでも草津の湯でも直せない「病」の側面があるからだ。

 病なだけあって恋愛感情は放っておくと心身を蝕む。とはいえ恋する「推し(括弧で区切っちゃうとこがおっさんだわ)」と添い遂げることは出来ないし、恋人の理想像を描いているうちに非実在の存在にのみ適合してしまうことはよくあることだ。

 いかにして適当な相手と無難に結婚するかにかかっている。「恋愛いっちょあがり」になるべく早く到達することで人生はより易しいものになる。言い換えれば恋愛を封印してしまうのだ。それは恋愛をしないということではなく、「もうこれ以上恋愛感情に振り回されなくて済む」という状態になることを指す。そう考えると恋は病というより呪縛に近い。

 男女ともに年齢が増すと恋愛はしづらくなる。相手が減るからだ。そうなる前に結婚を済ませておく必要がある。

 このように書くと恋愛を嫌っているかのようだが、まあ実際辛いことの方が多いよね。相手が何を考えているのか気になって悩んでしまうし、相手がいないと焦るし、好きな相手のことばかり考えてしまう。好かれたいのに距離が縮まらないと悔しいしみじめな気持ちになったりする。

 俺は恋愛は人口の増加を防ぐための物語だと見ている。清楚な関係が理想で、安易なセックスは卑しいとされる、そのような恋愛観のことだ。

  恋愛観を語る上で一人称が俺なのは荷が重い。まあいい。

  中世欧州では私生児が非常に多かったという話を聞いたことがある。その文献には当たっていないし大学の授業で聞いただけだ。おそらく妥当だろう。俺はそれを聞いて臆測した。いわゆる「恋愛観」は男女をセックスから遠ざけるために編み出された物語なのだろうと。一夫一婦制とか。

  たしか、カトリックは正常位以外も禁止にしていたな。

  村落の機能を維持させるために私生児の増加は悩ましかったんではないかな。

  話が逸れた。恋愛とセックスは連続もしているし、矛盾もしている。恋愛はセックスを遠ざける機能を内在しているからだ。

  恋愛イコールセックスという考え方も幼稚だなぁ。「物語としての恋愛」と「動物として生殖活動を要求する本能」は切り離して考えるべきか。しかしそれを当事者が見分けられるだろうか。(途中)

0 件のコメント:

コメントを投稿