2025年6月21日土曜日

43-2025

 国分太一さんが活動を自粛したのだそう。TOKIOのメンバーがどんどんいなくなる。今、編成的にライトニングボルトと同じか。いや、ライトニングボルトはベースか。

 興味がないと思っていたはずだが、何があったのか気になっている自分がいる。なんだかんだでゴシップが大好きなのだ。

 プライバシーの保護を理由に詳細な説明を避けているようだ。これは芸能人側でない人のプライバシーだとして、つまりは国分太一さんが「一般人」になにかしらの影響を与えたということだろうか。

 ここからは暴論になるが私は芸能人の人権はある程度制限されると考えている。なぜかというと芸能人は商品だからだ。売り物が自分自身だからだ。"一般人"の場合、「私」と「私が作った商品」、「私が提供するサービス」は離れている。芸能人は私と商品が同一なのでこの二つを分けるのが難しい。

 また、芸能人の収入はちょっと法外だ。人気のある芸能人にかぎるけど。誰かがそれだけの価値を認めて「買って」いるからなんだけども。で、ゴシップによって身を落とすとか、人気が凋落するとかその落差がまた「みんなが期待しているサービス」なんだよね。人の不幸は蜜の味てなもんで、そういう落ちぶれた成功者を叩くことで大衆は溜飲を下げるのですよ。

 この落ちぶれた時の落差を大きくするために報酬が高くなってるんじゃないかな。今思いつきました。

 消防士と歌手、どちらの需要が多いのか。もちろん前者だ。にもかかわらず後者がより多くの報酬を得るのはその希少性による。希少性。つまり存在すしてるだけで発生する価値以上のものが付加されているというわけだ。

 なんて色々書いたけど、もちろん芸能人の人権は守られるべきだよ。「芸能人の人権は守られるべき」と「芸能人は人権の一部も商品」は相反するけど余裕で併存する。

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