2011年10月11日火曜日

電車で席を譲るという事

直前の日記を書きながら普段思っている事を思い出しました。変な日本語だ。

直接的に関連はしないのですが、これが書く効用というものでしょう。

「電車の中で席を譲るのは良い事だろうか」

これにいたってはもはや屁理屈です。私が電車に乗っていて隣に座っていた人が席を譲ると非常に情けない気分になります。私はなんて心の狭い、手前勝手な人間なのだろう、自分より体力の劣るだろう人に席を譲ることもできない。譲った方はなんて人間がよく出来ているのだろう、と。

そこで卑屈な思考はさらに進みます。「そもそも私の隣の方が席さえ譲らなければ、私は自責の念に苛まれることはないのではないか」。ということは席を譲るという行為は本当に良い行為なのか。

席を譲って得をする(?)のは席を譲られた人と譲った人です。譲られた人は体力的に助かり、譲った人は、おそらく満足する事でしょう。私は非常に良い事をしたと満足します。そして損をするのはその両サイド、もしくはその席の一列、譲られた人の付近に座った人です。私のような人間だったら自責の念に駆られ、またそうでなくても周囲から「席を譲らない人」という評価を得る可能性があります。

そう考えると席を譲る場合と譲らない場合だと、席を譲った場合の方が損をする(可能性のある)人がはるかに多い事になります。
この考え方だと席を譲った場合の車内の空気の和みなども考慮に入れなければならないのですが。

と、特に疲れて座っている場合には「私は私が席を譲る事でうしろめたい思いをする人の事を考えると身動きを取る事が出来ない」と考えると自責の念が軽く、なりはしませんよ。そこで私が採用する方法は「どうぞ」などと明確に席を譲るのではなく、無言で席を立つ、です。そうすると譲られた側の心的負担(もうしわけなさ)も軽減できます。

久しぶりにくだらない事がかけました。

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