2014年1月27日月曜日

雑感。ファミマ、フォアグラ自粛にかんして

 最近ファミマがフォアグラを入れた弁当の発売を中止しました。いわくフォアグラが残酷な料理だからとのことです。
 Facebookでシェアされたリンクの中で、発売中止のニュースを記事タイトルの冒頭にVICTORY!とつけて紹介しているものがありました。残念ながらそのリンクを見失いましいた。よくあるたわけた博愛主義者(たち)のサイトでしょうけど、見出しの冒頭にビクトリーと入れてしまうセンスというか、"感じ"がキモいです。虫酸が走ります。
 たぶん、ネットで更新があった際に記事のケツに"New!"ってつけるのをパロったんだと思います。で、食肉、畜産を肯定する人、というより自分たちに賛同しない人の神経を逆撫でしたいんだと思うのですがいかんせんキモくて思考が停まりそうです。

 いっぽう、FBでそのリンクをシェアしていた人はどうかというとまんまと逆撫でされてしまっていて、「長い年月をかけて育まれた食文化への冒涜だ」と息巻いていました。
 でもこうした益体のない家畜憐憫にたいして「食文化が云々」と言ってしまうのも既視感たっぷりで頭が良さそうに見えません。

 僕はある人がフォアグラ用の鴨の飼育を見て、残酷だと感じてフォアグラを食べることに反対するのはアリだと思う。で、その人が寿司や豚カツ、或いはツナ缶なら食べちゃうというのもアリだと思う。その人にたいして食文化への冒涜だと攻撃するのはナシ。
 例えば、フォアグラの飼育や家畜の屠殺が残酷な行為だ、という意見が広く理解され共感を得たとします。仮にそういうことが起これば、フォアグラの生産は止めるべきで、そこで「食文化」云々することは"良識"の冒涜になるでしょう。
 それはそんなに特殊な話ではありません。例えばジャイアントパンダ食べないでしょ。もっと身近な例で言えば日本だと犬を食べないでしょ。犬を食べることをためらうこととフォアグラを食べないことの思考のあいだはそんなに離れていないと思います。かといって、感謝して肉を食えと言う人にじゃあ犬も食えというのはナシ。

 この話題に関していちばん説得力のある回答は「悩み続ける、迷い続ける」だと思います。これもそんなに新鮮な回答ではないのですが。『銀の匙』の序盤からこの話題が出てくるので一読することをお勧めします。この手の話題を口にする人は特に。

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