<「質」という字を「七」と置き換えると、「七」の二画目が曲がっているからで「七つ屋に曲げた」(質屋に入れたよ)って、江戸っ子は使っていたようです >
亀田製菓の煎餅(亀田のまがりせんべい)の個包装に書かれておりました。ポタポタ焼きのばあちゃんの知恵袋的な。
符丁やいかした比喩、あるいは避諱読みまで、"言わないで言う"ことについつい憧れてしまいます。
実は使われた範囲がチョベリバくらいだったかもしれませんし、江戸っ子が川越辺りで「ひち屋なんてねえよ」と小バカにされて「てやんでえ七つ屋に曲げるってんだよべらぼうめい」とかぶちまけただけかも知れませんが、まあいいです。
覚えると早速使いたくなりますが、質屋には行かないなぁ。
ということでブックオフとかディスクユニオンに行くときに「曲げっかな」などひとりごちることにします。
民俗学に興味が湧いていたものの、なかなか触れる機会を作らずにいましたがNHKテレビテキストの『100分de名著:遠野物語』のムックを買ってしまいました。同時に『遠野物語』も買いましたがまだ開いてもいません(…)。
テキストの中の注釈に「伏見稲荷」の項があり、少し気になる部分がありました。
…ただし、目には見えないため、「白狐」(透明な狐)という。
(p.50)
これまで白銀の体毛が美しい狐を単純に想像していましたが、この場合の「白」は透明を意味していたんだなと改めて思いました。描写としての白い体毛はおそらく妥当ですが、白色に神聖な威厳を持たせてしまうのは適当ではなさそうです。
たぶん、この辺のイメージは四神「白虎」に引っ張られていそうです。ちなみに、青龍という神もいることから白虎はおそらく"目に見える「白」"なのだと思います。
僕は透明と言うと青をイメージします。村上龍もおそらくそうでしょう(冗談)。が、白狐と言った古の人は、白としました。白い雪を掬うと確かに色がない。或いは紙の色か。白い紙に墨を落とすことで初めてその場に意味をなすものが生まれるから、それらが始まる前、つまりフラット、ゼロ、スタートは白である。なんて想像を巡らすと少し楽しくなってきます。
もしくは白けるや白々しいなど空気(雰囲気)を表す語として白が用いられもするので、そういった了解があったのかもしれません。
というように注釈ひとつでも楽しくなってきてしまう民俗学の世界。とても魅力的です。魅力的ついでに負の遺産として紹介されている親殺し、子殺しでも想像力がかき立てられます。
少し話が逸れますが、「姨捨山」という話があります。年老いた親を山に棄てるという、哀しい話です。これに関して当時どれほど哀しいことだったのかという疑問がわきます。姨捨山は当時にあって哀しい出来事だったのか、という点です。
なんというか、子殺しはけっこうやっている雰囲気があるのです。様子がおかしい、といったわりと曖昧な理由で子を追分に放置する。食料を共同体にくまなく行き渡らせるというのは僕が思っている以上にシビアだったのだろうなということが想像できます。そして、食い扶持を減らすことに関してはドライだったのかな、とも思います。
では老人を山に棄てることもそこまで哀しい出来事ではなかったのではないか。
ただ、だとすれば武士階級で棄てられる人がいても良いはずで、葉隠よろしく棄てられる心得みたいな文書が残っていても良いはずだし、水子地蔵もできないはずです。立花道雪とか島津義弘が最終的には山に行ってたりすれば話は別なのですが。
ということはきちんとした、正確な文章として残せない程度にはタブーだったのかもしれません。
この辺に関して、当時と現在では死生観にかなりのズレがあることは容易に想像ができます。死生観をはじめとした感覚の違いを民俗学は埋めていってくれるものだと思います。
現代に置いてもなお人々を魅了してやまない"見えないもの"。オカルトの多くが非科学的だと退けられ嘲笑にあってもなお人は墓参りをし、初詣をし、ネットにはオカルト情報がなくならない。それらの事実は人々にとって"見えないもの"、"現実的な知覚では把握できないもの"の重要性を雄弁に語っていると言えます。
近年、僕はこうした語ろうにも語れず見えず、知覚もあやふやな物事が重要な気がしてなりません。
民俗学が自分の直感を説明する手助けになることに期待しまくってます。
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