2015年2月11日水曜日

雑記20150210

男の感情が最もはっきりと判るのは、残酷になった時である。
男もやさしさを示す。しかしそれはどこか芝居じみたものになる。男の場合、残酷になる時その本性が出てくる。だから男の世界を現実につかみだすとすれば、それは残酷だ。
今も、昔からもずっと、世界中のどこでもそうだ。歴史上の問題を何か一つつかんでみるとよい。そこを突き詰めると必ず残酷な状況があるだろう。
(南條 範夫「残酷について」)

    気になって書き写してみましたが、思ったより汎用性が無いような気がします。なんだ?残酷になった時?
    どういう理路で残酷になったのか、あるいは残酷になった場面での振る舞いなどにその人のキャラクターが顕現するとかそういうことなのかもしれません。
    いずれにせよ、気になった言葉でした。

    例えば愛人がいたとする。しかも飽きてきている。いつものようにホテルでセックスをして「早よ帰ろ」と冷たくあしらう。愛人はだらだらと洋服を着始める。身に付けるそれらは全て私が買ったものだ。
    愛人って良いなぁ。実はいい仕事なのかもしれない。金銭面はもちろん、相手によっては政治力さえ獲得できるかもしれない。
    必要なのは"愛される"ということ。それは才能でもあるし、努力して身に付けるスキルでもある。都合がいいだけではない、なにか与えたくなってしまうような身のこなしや視線や声色を持っていなければならない。

    ん?これって一般的な人間関係にも当てはまらないか?
    愛されるための戦略というものをもっと真剣に考える必要があるかもしれない。
    愛されてさえいればニートだって全く問題ないじゃないか。ヒモ?いやそれは男女でなくてもいい。恋愛でなくてもいい。
    愛されることで与えてもらえばいいんだ。貸与だっていい。

    ではまずどうすれば人から愛されるだろうか…戦略的にいい人を行う?

    というのが残酷になった時に現れる本性の一例かなと思います。
    元ネタがわからないと面白くないですね。

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