◆人生に疲れた1000万円プレイヤーがたどりついた「ミニマリズム」(最小限主義)という価値
http://logmi.jp/38827 なんつうかこの人の肩幅が信用できないです。失敗してそれを克服するというメリケン好みの展開です。
◆持ち物すべてをカバン1つ分に収めることで、思考も人生もシンプルになる
必要なものが鞄ひとつに収まるとか、かっけえです。スナフキンみたいで良いですよ。
基本的にシンプルな生活には憧れています。数少ないが自分が気に入ったものに囲まれた生活は風通しが良さそうに思えます。
少し話が変わりますが、自分が本当に食べたい物を食べた時は感動します。驚きすら感じます。僕は覚えているだけで二度経験しました。一度はとある定食屋の味噌ラーメンでした。もう一度はサントリーの角ハイボール、しかも缶で売っているアレでした。
本当に求めている物は臓腑にズドンとキマります。絶好球が来て、それをホームランにしたよう、といえば良いでしょうか。そんな時は缶入りハイボールに対して「マジフルーティ!」と驚嘆してしまうのです。別の機会に飲んでもあの感動は戻ってきませんでした。
こういう時になぜ驚くのでしょうか。それは、本当に求めている物を自分で知ることができないからです。頭で想像する"欲しているもの"と身体が要求しているものにはズレがあるというわけです。
例えば依存症というのがこのズレから生じるものではないでしょうか。身体は全く要求していないのに頭はそれなしではいられないと錯覚している状態、それが"依存症"だと思います。「それ頭と身体逆じゃないか?」と思われる方もいるかもしれないが、多分この見解が妥当だと思います。
僕達は自分の欲望を正確に把握できていない可能性があるのです。
話しをミニマルな生活に戻します。上記の「人生に疲れた〜」という記事を読んだ時になぜか違和感を感じました。収入が増えてブランド品を買い漁っても幸せになれなかった男がミニマリズムに出会ってめでたしめでたしという話なのですが、どこかしっくりきません。
仮にミニマルライフが自分が求めていたものでなかったとしたら?
シンプルな生活にはある種の厳しさを感じます。修道士みたいな"清貧"というか。決してラクなだけではないはずです。
身も周りのものをがんがん処分してから「なんかこれ違う」と気付いてしまう可能性が、多分あります。自分の欲望を正確に欲望することは難しいからです。
で、ライフハック系、あるいはted系ミニマリストのうち何割かは"実はその生活を求めていないけど後戻りもできない"人なのではないでしょうか。意地の悪い憶測ではありますが「ときめかないけど捨てるわけにもいかない」なんてものは普通誰でも持っているものです。また、ときめかないから捨てることができる物しか持っていない人生ってとても薄っぺらい気がします。ごめんこんまり。実際のところ「手に取ってみてときめかなかったら捨てる」という方法は衣服に関しては効果は絶大です。
我々がイメージするところの"シンプルな生活"自体ヘタなデザイナーズマンションみたいなもので、かっこいいけど住み辛いということもありえます。そして何より物に囲まれた生活も面白いですし。
ちなみに僕には買おうと思ったけどやっぱやめとこう、と思ったレコードがあってここ数年そのことを後悔し続けています(笑) シンプルライフが誰の身にもズドンとキマるわけがないのです。
なんていうか物欲を肯定した記事に出会えないことが逆にこうした言説を怪しいものにしている気がします。ミニマリストがネットやったらいかんと思いますしね。
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