2015年5月5日火曜日

スタジオボイス買った。


STIDIO VOICE vol.406。今、カルチャー雑誌とキーを打とうとしましたが、陳腐というか、言い得ていない感じが強いので躊躇しました。

「今という時代は、かつてないほどカルチャーに溢れ、あらゆることが同時に起こっているだけだ。点と点として存在し、それを括り付け、一つの名前で呼ばれることを拒絶する時代なのだ」

これは僕にとっては新鮮な切り口でした。引用した文章の前段に"カルチャーが不在"と言われていることが書いてあるのですが、僕も分かりやすい線引きが出来ない状況を不在だと思っていました。
ソーシャルメディアの普及がシーンとかカルチャーと呼ばれる縄張りを容易に跳躍していて、その跳躍を名付けることができない。名付けようとした瞬間にはもう別の地点にいる。
そんな感じでしょうか。

「一つの名前で呼」んだり、線引きをしたりする、というのはつまり視点を明確にすることです。
例えば15年前(もうそんなに経つのか‼︎)の"ガレージリバイバル"だったら「60-70年代のガレージロックに強く影響を受けたバンドがエキサイティングだ」という視点からポップミュージックの市場を見渡すという。
で、そういう視点を提案することがカルチャー誌の仕事だったわけです。なんていうか、バンドやフォトグラファー、デザイナーなどを紹介することで「物の見方」を読者に伝えると言えばいいでしょうか。
ということはつまり先程引用した箇所はカルチャー誌の敗北宣言とも読めるわけです。雑誌というメディアでは現在のカルチャーを読み解くことが出来ない、どうやっても充分伝えられない。

それは少なからず不幸だと僕は思います。不幸だと感じるのは自分が老けたからでしょう。「今の若いモンはスタジオボイスでエッジィな物の見方を学ぶことが出来んのじゃ」というわけですね。

にも拘らずスタジオボイスの堂々とした、クールな佇まい!これほどかっこいい敗北宣言もないでしょう。編集者の意気と雑誌というメディアの力強さ感じました。
カルチャーを大雑把に捉えることが出来ないことを"不幸"だなどと嘆く雰囲気は微塵もありません。

ムーヴメントの規模の大小が良し悪しを決めるわけではないのです。そこは僕も大いに見誤っていたし、誤解している人はきっと多いと思います。

ページをめくるごとに新たな出会いがあります。ほうほうこんなアーチストが出てきておるのか、って感心の仕方がすっかりおっさんになってました。

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