2015年6月12日金曜日

雑記20150611:良い旅を

僕の家(賃貸ですが)の前から高速道路が見える。防音壁の向こうに通過する自動車のヘッドライトが光り、僕はそれを眺めている。最近はその時間が好きだ。

何度か同じことを書いたけどまた書く。僕は人のスケールは移動可能な距離に比例すると思っている。移動可能な距離というのをもうちょっと詳しく言うと「生活拠点を移せる範囲」のことだと思う。

これまた同じ例で申し訳ないけど、以前の、それまた以前の職場の人から「アメリカで店を出す知人からアメリカで料理人として働かないかと誘われている」という話を聞いて人のスケールは〜というのを思いついた。つまり彼は技術と人脈を武器にアメリカまで移動することができる、というわけだ。

これに関してはとある宣教師の方からも同意を頂いた。宣教師の彼はかつてアメリカで勉強していて、語学も堪能だ。彼もまたさまざまな条件が整えば拠点をアメリカに移すことができる。

行き交うヘッドライトを眺めながら、やりたいと思ったら即行動だ、と僕に言ってくれた女性を思い出した。彼女は小さい子どもを抱えながら、えいやっと東欧まで旅行した。これは拠点を移すという話とは少し異なるけど、その「えいやっ」という心意気にスケールの大きさを感じる。

"さまざまな条件が整"っても行動に移すことは難しい。迫られる決断に尻込みしてしまうことがほとんどだ。

自分のことを振り返る。僕はどこまで行けるだろう。郷里の静岡までか。もっと僻地まで移住できないだろうか。妻の仕事の都合もあるし、仕事もあるし。子どももいるし。

さてそれらの条件をクリアしたとして、僕は移動(移住)するだろうか。

防音壁でぼやけた車影は深夜になっても通過し続ける。僕はそれをなかばワクワクしながら見ていることに気付く。

今はまだぼんやりとした障壁に尻込みしている。えいやっと腰を上げられるよう条件を整えたい。

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