2015年9月24日木曜日

友人FのSNS投稿より。秩父前衛派など。

 僕の友人、と呼ぶにはあまりに立派で強靭な(胸板が厚い) F越くんがmikikiというサイトに連載をしています。
 彼が笹久保伸と彼を中心とするアート運動"秩父前衛派"のことを書いています。

◆連載:【秩父は燃えているか】

 秩父前衛派というと厳(いかめ)しいのですが、地上波にも出演したタクシー・サウダージも彼らと連帯している(でいいのかな)など、どこかほんわかしている(他に言い方がないのか)動きです。
 面白いのはアートが人の営みと地続きだと思わせてくれる点です。玄関の向こうにすぐアートがあるような感覚。気位は高くしかし衒学的(げんがくてき)ではないのが魅力です。



 とかなんとか言いながら正直に言うと、秩父前衛派の記事よりはFくんの投稿文に惹かれました。
 ここで彼のFBでの投稿を引用しておきます。
この連載を始めるときに、
地方の文化、
それも政令指定都市のような大きな地方都市じゃなくて、
人口減少が止まらず、
少子高齢化に加えて高校を卒業した若者たちが近隣の都市に流れていってしまうような(自分もその一人だ)
経済もなにもかもが傾き続ける地方自治体にあって、
文化的(で刺激的)な創造はどうやったら可能になるんだろう、という大きな好奇心があった。
「インターネットが普及したから地方だけじゃなく世界中どこからでも情報発信は可能だ」という言説は、
現実にネットが地方に及ぼす効果や影響よりもポジティブに評価が見積もられてる気がする。
人口7万人の秩父市に今も居住する笹久保さんの活動を1年間がっつり観察させてもらって気付いたのは、
普段自分が住んでいる(おそらく他の多くの住人たちにとっては)
全てが当たり前でありきたりに見える街の中から、
まるで考古学者が地層から丁寧に化石を削り出すような手つきで
誰も見向きもしない(あるいは隠された)歴史を掘り起こし、
それを博物館に納めるんじゃなくて自分のアートとして現代の空気を呼吸させるアーティストの姿だった。
ひとつの同じ風景であっても、視る人の知識や視座によって表れてくるものが全く違うということ。
そういう姿勢を学べたのは、これから最終ステージでの課題に取り組もうとしている自分にとって
かけがえのない経験だったと思う。
いつ行っても快く迎えてくれた秩父の方々、
そして不採算部門だった連載を「ここは気にしなくていい」とばかりバックアップしてくれた会社の方々、
いずれにも大きな感謝の念でいっぱいです。
秩父に住まう異端のギタリストを追いかけて一年あまり、当連載いよいよ大詰めです
  僕もぼんやりと地方とか地域のことを考えています。地方創生とか声高に叫ぶほど意識は高くないのですが、東京じゃないとできないとか、東京以外面白くないとか、そういうのは嫌だな、と思います。

 もっと個人的かつ具体的に言うと、僕の住んでいる街にはクラブがありません。レコードショップもありません。クラブはまあしゃあないとしても輸入盤を扱うような店がこの街にも西の隣町にも東の隣町にも、誰もが聞いたことがあるような南の街にもないのです。
 あったら是非教えてください(余談)。
 こういう状況も面白くないなと思うわけです。

 そこで「文化的(で刺激的)な創造はどうやったら可能になるんだろう、という大きな好奇心」が僕にも湧いていたところでした。

 でも僕たちの想像力は陳腐なため、地方活性化などと考えてしまうと往々にしてアンテナショップだとか、道の駅だとか、あるいはショッピングモールができて中にお洒落な雑貨屋があればラッキー、などと考えてしまいます。
 「何か新しいものをおっ建てる」とか「他所から立派なものを持ってくる」という、ふるさと創生1億円ライクな古臭い考え方に囚われてしまうのです。

 結局それらは所謂"ファスト風土"に陥りがちで、道の駅も地域の特産品があっても何となくどこも一緒のように見えてきてしまう。なにより大きな資本が必要なため政治主導にならざるを得ないし、そうなると現れるのはジャスコとららぽーとしかなくなってしまいます。

 それにたいして秩父前衛派のやり方は、とても有効だと思うのです。「街の中から、」「歴史を掘り起こし」「自分のアートとして現代の空気を呼吸させる」こと。それは地道で地味だけどオリジナリティが生まれます。イヤでも生まれる。 

 これは方法の一つで、やり方はいくらかあるのかもしれません。地域に根差す、ということ。今いる場所がどういう場所か知ること。それはB級グルメを捏造する前にやるべきことなのです。

 ローカルとグローバルと対立しないことは多くのアートが示しています。デトロイトテクノ、シカゴハウス、マッドチェスター、あとなんすか(浅薄)。コーンウォールのテクノやバレアリックサウンド、ちょっと逸れるけどポートランド・スタイルなどなど。

 むしろ世界はローカルの視座を要求する。

「街の中から、」「歴史を掘り起こし」「自分のアートとして現代の空気を呼吸させる」。もっと考えていきたいテーマです。

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