2017年7月16日日曜日

アーカイブ化と解放(開放?)の距離など

先日ラジオでセクシャルマイノリティに関する話を聞きました。今はLGBTにとどまらずLGBTQIAにまで分類されているとのこと。パンセクシャル(たぶん汎セクシャルっつうこと)という言葉もあるそうな。

ただ、これら性に関するアーカイブ化はそのまま性の解放、適当な権利獲得には直結しないことは注意すべきです。逆に差別を助長しかねません。

たとえばヘテロという言葉があります。セクシャリティに関する場合は異性愛者を指します。異性愛者はこれまで"ストレート"という呼称がありましたが、それでは同性愛者は「ストレートではない→異常者か」という懸念から"ヘテロ"という語が使用されるようになったのではないかと予想されます。

しかし、それこそラジオで話していた方は自分がバイセクシャルであるというエピソードを語った際に"ストレート"という語を使っていました(『自分はそれまでストレートだと思っていたが~』と)。ヘテロという言葉の認知度を考えた上でラジオでわかりやすく説明するために用いたかも知れません。
いっぽうでヘテロは同性愛の反義を強調した言葉である、という部分もある気がします。逆差別、などと言ってしまうと言い過ぎかとも思いますが「闘争の言葉」という側面もあります。そもそもゲイやレズが差別されていなかったら生まれなかった言葉でしょうし。
そういう攻撃性が自分の主張に合わないからラジオの方は"ヘテロ"を用いなかったのかなと憶測しています。

2年前くらいに田舎の議員が同性愛に対する差別的な発言が目立つことがありました。僕はそれをSNSで知ったのですが、結構それらに対する発言が攻撃的、戦闘的でちょっとまってくれよという気持ちにさせられました。

まあ、ええのよ。同性愛者はじめ性的少数者の権利は十全に認められてはいないのだから、差別者を攻撃しても。当事者にとっては闘争であるはずです。けど威勢のいい発言をしているヘテロたちがちょっと気になります。

これらの問題に首を突っ込んでいるヘテロ、いやストレートたち。彼らはこの闘争が敗北に終わっても実は全く困りません。だから無闇に暴れることが出来ます。もちろん本気で取り組んでいる方々もいらっしゃるのだろうけど、問題をアクセサリーのように扱うストレートも多くいます。セクシャルマイノリティに関心を持つ俺カッコイイという困った意識高い系です。コイツらはどうなっても全く困らない。

セクシャルマイノリティの中には穏健派もいるはずで、むしろそっとしておいてほしいと思っている方も多いと思います。穏健派の思いもぜひ汲んで欲しいです。

僕はこれらの問題にたいしては消極的支持を示すのみです。おそらく僕の内心には差別的な意識がまだあるからです。たとえば僕の子どもがセクシャルマイノリティだったら苦労するかなと予想してしまいます。
差別的な意識はあるが、それを表明しないしセクシャルマイノリティの主張は同意できる範囲で同意します。主張が過激になったらついていけないかも知れません。

あと、ストレートのセクシャルマイノリティに関する発言には眉に唾をつけて臨む。そして穏健派の心の安寧を望みます。

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