3月11日は一言でもいいから書いておきたいと思っています。この日は僕達の意識を確実に変えました。...と言いながら数年書き続けていたのでもはや書くことがないです。
ただ、やっぱ書き続けないと、と思うのは記憶はどんどん変えられていくからですね。みなさんはどうなのかわかりませんが、僕の過去の記憶はどんどん書き換えられています。忘れていくのは、まあ仕方がないとして、困るのは改変。ドキュメンタリーを観たり記事を読んだりすることで「俺もあの時そうだった」と思い込んでしまう点です。もちろんドキュメンタリーで語られた言葉が僕の表現出来ていなかった気持ちをうまく表すことが出来る、ということはあると思います。
でもそれは都合のいい思い込みの可能性もあるわけです。
ですからこれから先も記憶は遠ざかり、変えられていくことが予想されますから毎年書いておくことでその時々の感慨を残しておけると思っています。
2018年に震災を振り返るとしたら。あそこから日本は二流国家になった、ということでしょうか。地震の衝撃で底が抜けた感じ。二流になった、というか今まで一流を装っていたメッキが剥がれたというか。僕は日本という国は経済的な成功を収め、しかも歴史がある世界トップクラスの国である、とイメージしていました。それは過去の話で人口が減り始めた衰退の道を辿っている最中で、喫緊の課題は「"老成した国家"へ軟着陸する」ことだったように思います。
しかし震災の衝撃はそれを許さず、以降に出てくる原発への対応はじめあらゆることがみっともないものばかり。ヤバい状態から目を背けていたけど見つめたらやっぱりヤバかった。喫緊の課題を意識した国家像を描いている人が誰一人いませんでした。
ああ、なんか暗くなってきた。今宵、そして今年はここまで。
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