2019年3月14日木曜日

20190313


「なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはゐない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する─ほしいのは、さういふ実感だ。」(福田恆存)


"人は環境に埋もれて生きているだけではアイデンティティを構築できません. 重要なのは, その環境を客体視した上で, 再度, 主体的に引き受け直す意思を持つことです."
『リベラル保守宣言』p.155
環境に求められている役割を自覚して全うする。ある意味"演じる"こと。それが人間の本質である─...これって人によっては気が楽になるんじゃないかなと思います。僕は気が楽じゃないんですけど(苦笑) 演じるという意識。なんかついつい仕事と自分、自己表現って同一視しがちです。特に失敗した時は、仕事の失敗を通じて自分の愚昧を痛感してしまって落ち込みやすいです。なんか仕事に限定して書いちゃってますが、仕事の成果は自分とイコールではないと考えると気が楽になります。

まー失敗したら自分の事として引き受けるというのも大切なのはわかります。が、ほどほどに、と。周囲が自分に求める役割が自分の実力以上なのがそもそも間違っていて、見誤った周りもそれなりに悪い、くらいに考えておくべきかと思います。

で、僕がなぜ苦笑を漏らしたかというと、求められている役割というのをビンビン感じているのですがその役割、すんごいヤダだからです。僕はもう「正直荷が重いし僕の実力では無理」とまで伝えました。ほんと、"責任"から逃げたいんで。ただ、"演じる"と考えるとちょっとだけ不安やストレスが紛れます。俳優さんだって気乗りしない役をやることもあるだろうし(笑)

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