2019年4月1日月曜日

ピエール瀧の逮捕を受けて

ピエール瀧が捕まってしばらく経つ。
ピエール瀧容疑者、逮捕


このブログは、思いついたことを書いておこうと思っているので、微妙に回りくどい書き方などしています。後で見返した時、ピエール瀧が捕まったことくらいは簡単に忘れそうで笑 思い出す頃には何度か逮捕されてたりしてね。

で、石野卓球のリアクションに注目しています。
ピエール瀧逮捕で石野卓球にワイドショーが「謝れ」攻撃! 同調圧力、連帯責任…日本の異常性を突いた卓球のツイートは間違ってない
"音楽関係者は「純烈がメンバーの不祥事で会見したように、電気グルーヴの作品を堂々と販売するためにも、石野も何らかの説明や釈明をするべきだとの声もレコード会社などからは上がっている」と指摘する"(http://news.livedoor.com/article/detail/16225508/)

 純烈みたいな三下と電気を並べることができる厚顔無恥な音楽関係者て誰よ。僕は石野卓球に好意的なのでこの話題に対して公平ではないなと思います。その上で。

 こう、石野卓球とこれらの話題が妙ーにそぐわないことはなんとなくみんな共有できているんじゃないかと思います。筋金入りのちゃらんぽらんというか。

 だから釈明する責任とかいう言葉の違和感がむしろ浮き彫りになった気がします。

 ああ、謝罪エンターテインメントだ。

 ここ30年、謝罪会見が増えました。大衆(庶民じゃない、畜群の方な)の溜飲を下げるあの会見。小室哲哉の会見で畜群はぎょっとしたんですけど、それを責任転嫁したんですよね。マスメディアがゲスだからと。違うだろ、望んだのは僕たちだろうに、、などここでは余談。

 いつの間にか、有名人、有力者の謝罪がすっかりエンターテインメントになっていたことを石野卓球から逆説的に示されたと思います。

 で、説明責任という言葉の空っぽさ。誰に対しての責任かと言えば、謝罪エンターテインメントのお客さん、もはや半分実在していない(オンライン上だしね)畜群なんですよ。それを痛感しました。誰への責任でもないということがむしろ怖いですよね。僕はこれまで説明責任という言葉に違和感を覚えることはありませんでした。でも今回「卓球はピエール瀧の何を誰に説明すべきなんだろう」と考えると、うまく思いつかないんですよね。瀧が出演した映画の関係者とか? 電グルがどんなユニットか知らないでキャスティングしたことの方がどうかしています。

 おそらく、説明責任という言葉が有効なタイミングがあると思います。説明責任という言葉はまた、汎用性もあります。故に乱用されました。
 色々考えて、自分自身の良識の浅薄さに今更ながら驚いているところです。そういう意味で今回の件は印象に残りました。

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