嫌だからやめる。合わないからやめる。やるからには本気でやる。この三つの状態のどれかだけで行けばだいたいうまくいく。嫌なのにやめない。合わないのにやめない。やっているのに本気を出さないことで人生は蝕まれる。— Dai Tamesue (為末大) (@daijapan) September 23, 2019
くぅぅぅぅ。沁みるわ。
"蝕まれる"ってのは「趣味がおざなり/なおざりになる」という事なんですよね。僕は音楽鑑賞が好きだった(過去形が切ない)んですけど、聞いててもなんかピンとこなくなるんです。聞いてても嫌なことと合わないこととちんたらやってることが、そんな時に限って頭をもたげてくる。
「こんなことやってる場合か」とか思っちゃう。こんなことやるために生きているのに。
とはいえ「嫌なことを好きになろう」という決意も悲愴すぎてもう...。
ちょっと物の例えになるんですけど。人生って彫刻のようなものだと思ってるんです。元々ゴツゴツしていたのがちょっとずつ削られて磨かれていく感じ。
で、ゴツゴツしていたものに色んなことが"引っ掛かる"んです。例えばドアーズのファーストを聞いた時に胸がざわついたり、クリムトの絵を見た時に好きなんだか嫌いなんだかよくわかんないけど心に残るような、あの感じ。
自我がゴツゴツ・ザラザラしている時は色んなものがとにかく引っ掛かる。それが世間の荒波に揉まれてだんだん滑らかになっていく。世間との折り合いは自我が滑らかになった分スムーズになる反面、これまで「ん?」と思っていたものも"引っ掛からず"に滑り流されていく。暇つぶしにランシドのアルバムを買っても「ふーん、かっこいいー」と滑っていってしまう。
滑らかになるというのは「審美眼が磨かれる」ということでもあるので一概にダメとはいえないけれど、多くの場合、「無感動になる」ことと同義なわけで。
この、磨かれることでもあるけれど、何か大切なものも削り落とされてしまうこと。これが"蝕まれる"ということなのかな、と今は思っています。
わりと切ねえブログ書いたんですけど、俺、次回の給料から手当削られます。しこたま怒られたわ。
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