2019年11月29日金曜日

首相主催の桜を見る会にヤクザもんや詐欺師まがいの山師が混じっていて、そうなるとその関係が疑われるんだけど、捜査ということにはならないでいます。治安の危機なんじゃないでしょうか。


官房長官も反社会的勢力の人間とバッチリツーショットをキメていたものの「反社会的勢力の定義が定まっていない」という屁理屈に至りました。酷い有様。

野党も追求の姿勢、なんだけど与党側は追求を受ける姿勢を一切取らず野党側の一人相撲状態、なのかな。のらりくらりやっているんじゃないでしょうか。いつの間にか野党にも問題がある、なんて言われ始めたりして、問題があるのはどう考えても与党だろ、と。

2012年以降、メディアが政府に文句が言いづらくなっているんだと思います。メディアにいる人たちは本当にそれを感じているんじゃないでしょうか。私たちもいつの間にか「舌鋒鋭い批判」を遠慮するようになってしまった気がします。「何熱くなってんだか」みたいな冷ややかな視線を浴びせるようになってしまったのは私たちだと思います。

何度か書いていることなんですが。安倍首相の第2時政権が発足した頃、「またお腹痛くなって辞めんじゃねえの」という冷やかしに対して「その病気の人に失礼だろ」という反論が出たんですね。たしか。
僕個人はかなり違和感を感じたんですよ。いやまぁ病気をネタに冷やかしちゃいけないのは確かなんですけど、論点をずらした逆ギレもおかしいでしょう。

なんか今ののらりくらり戦術とつながっていると思うんですよね。緩やかに言論を封殺してきた成果が今の、明らかにおかしいのに何故か追求できない状態を産んでいるんじゃないかと思います。
桜を見る会を名簿を破棄した(出せない)理由のひとつに名簿に記載された人物の個人情報を保護する観点から提出は適当でないというのがあって、これも「言ってることはあってるけど論点ずらしてるよね」という。「じゃあどうやって潔白を客観的に証明するのよ?」という点が全く放ったらかしになっています。

あの時の"違和感"は放ったらかしにすべきでなかった、今になって後悔しています。

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