2020年2月21日金曜日

ここ数日は、なるべく雑念を拡散しようとしてました。と書くとかっこいいですね。雑念の拡散!なんつって...てなもんで

なんか、当初は落語っぺえ何かを想定してこの口調(筆調?)にしたつもりなんですけど、なんのこたねえ、うぜえ無駄口なだけで笑

でも今んとこ、ほんと現時点ではコレが書きやすく感じてますわ。
調子乗りだからなるたけ「ですます」使った方がいいってことはわかってるんですがね。
来週になったら、イケてるジャーナリスト口調を目指して実話ナックルズ調になってるかもしれやせんぜ。

書いていて結論が見つかるってことがちょいちょいあって、これが楽しいんですよ。
まああお付き合いくださる方にとってはうんざりするかもしれませんが、こうして駄文を連ねていくと「つまりこういうことか?」なんて着地点が見えたりするんですよ。

ちょっと前に書いた「CDというか音楽文化復権には定番・名盤をちゃんと紹介するしかない」という結論も書いてる途中まで思いつかなかったすからね。書いていて、自分の書いた文章の整合性をとっていくと、ぼんやりそんな結論になると。

定番をきちんと紹介するってのは権威付けするってことでもあるわけです。権威っていうと条件反射的にイラッとしたりしますけど、権威ってのが確立されるからそれに抗うことが出来るとも言えますし、ないと対立も出来ないぞと。

でウェザオールが亡くなって改めて「ウェザオールはなんであんなにかっこいいんだろうな」と考えた結果が「彼の"好き"はどこにもなびいていない」、というシンプルなものになったわけです。"好き"に後ろめたさや忖度がないっつうか、言葉にしたら「好きだから好き」みたいなトートロジーになっちゃうんですけど。

なんかこんなこと書き連ねてると書いたもの同士もリンクする気がします。同じヘルパトさんが書いてんだから当たり前ですけどね笑

定番を押えること、権威付け、好きなものを好きでいることの難しさ...
やっぱ"自由に"音楽を聴くことのつまらなさ、これを自覚しないとっ。
(おお、なんか思ってもないことを書いたぞこれは)

僕、エレクトロニカ好きなんですけどある時期完っ全に飽きてて笑
好きなものを好きなように追ってると、人によっては道に迷うんですね。
そこで「権威」に強制されるように名盤に手を出す! そして感動したり「どこが名盤なんだかわからん」と反発したりしてさらに深みにハマっていくんですよねぇ、はぁ。

俺は自分で突きつめた、って思ってる人もディスクガイド読みますからね。ディスクガイドを手に取ったのは自分の意思かもしれないけど、ディスクガイドに"次に聴く作品"を強制されてるわけで。

ほぼ全ての人は実は自由に音楽を聞いていなかった。音楽雑誌が指標を示していたんですね。
で、音楽雑誌がなくなって「自分の好きな音楽は自分で決められる」とネットを漁っているうちに面白いまとめサイトを見つけて読み耽って。気が付いたらどの音楽が良いんだか悪いだか、てかYouTubeで曲探す、きょうびの若い衆はサブスクですか、よりもまとめ見てた方が面白くなっちゃったりして。

だから音楽通を気取ってるおっさん方も実は音楽雑誌の影響丸受けしてて、そのことを自覚しないでふんぞり返ってる(んな人いないか)。

ネットがあれば音楽雑誌なんていらないと思ったんですが案外そうでもなかった、という。

また書きながら思いついちゃったんですけど、それこそ2005-6年あたりで飽和点みたいなの超えたかもですね。
というのもポップ・ミュージックって毎年それなりにいいアルバム出るから年々「聴くべき作品」が増えてしまった。で、その数がどこかで限界を超えた...
みたいな。んなわけないか。

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