2020年7月4日土曜日

怒りの速度

怒りの速度


怒りは速い気がする。SNSは怒りを増幅しやすい装置だと思っていたが、この「速さ」が原因じゃないだろうか。


ちょっと的を外しそうだけど...怒りってのは「排除したい欲求」じゃないだろうか。なんで怒りが速いのかを考えての憶測。

なんて言うか、危機が迫っていてそれを排除しないと自らが危険にさらされる。恐怖とかも含んでるのか。

怒ると暴力的になる場合があると思う。暴力的ってのが元々は身体的なパフォーマンスを一時的に向上させている状態と考えてみると少し合点が行く。


例えば原始時代とか。いつも食料を調達するのに使っている道があったとする。そこに木が倒れている。それを除かないと食料が調達できない。危機だ。

この時木を取り除くべく腕や脚部に力を込める。これが「カッとなった状態」。


この木さえなければ、この木があったら食い物にありつけないじゃないか。この木に対する思いが怒りという感情だ。


木を取り除いたら安心する。平穏が訪れる。この平穏に戻りたい願望、平穏が乱されていることへの不安や恐怖が怒りとなって表れる。


怒りのあとに安堵する感じが"快感"に近かったら、些細なことでも怒り、排除し、小さな安堵を得るようになるだろうか。


危機はいち早く取り除かないといけない。ゆえに思考が短絡的になり、行動は粗暴になる。

僕、自分が言ったことに勝手に納得しているところです。


もいっちょ例え話。美味い店と不味い店があったとする。不味い店なんてなくなって構わないから(むしろすぐなくなって欲しい)、あそこは不味いとすぐにツイートする。

いっぽう美味い店はどうだろう。もちろんオイシイ情報をシェアするのが好きな人もいるから例外は多々あるだろうけど、「美味しい」と広めたらバズって自分が行けなくなったりするのもあれだな、など考えて結局秘密にしたりしないだろうか。


美味しいお店に迷惑がかからないようにと配慮したり、店の写真を載っけるなら素敵に写るようにするかもしれない。オイシイ情報とそれにまつわる自分の感情は丁寧に、慎重に扱う。


バズって満席になったら「新規の客はマナーがなってない」とか怒ったりして。


怒りが排除する、取り除く欲求の表れだとしたら、その速さにも納得できる。なにせ危機なのだから、一刻も早くなくしてしまいたいからだ。そしてなくしたいものは「どうなってもいい」。


また怒りが解消されると達成感を得られる。安堵できる。平穏を取り戻せる。


これらがSNSにおいて怒りが何より拡散されやすいということ、それから正義中毒に陥ることの原因だと考えている。


怒らない解決法とかは思いつかなかったけど、まずは理解しないと、と思って。

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