2020年10月28日水曜日

 死に憧れていた。いいじゃん、死。いや、これだけ書いただけで恥ずかしい。


ローン組むと「死ぬとチャラになる」保険に入る。僕が死ぬと2000万くらいがチャラになる。つまり、現在の僕の死は2000万の価値がある。

歳をとる(=ローンの返済が進む)とそれだけチャラになる数字が減る。歳をとればとるほど死の価値が下がっていくわけだ。それが面白い。


今死ぬと家族にいい土産ができるように思えた。実際、早くに配偶者を亡くしたある女性は表向きは悠々自適の生活をしている。

話は逸れるがこれはひとついいヒントで、住む場所が確保されればあくせく働く必要がなくなる。ベーシック・インカムの亜種じゃないけど住む場所を保障してやるのは割といい手段だと思う。


で、今死ねば子供にとってもいい思い出になるんじゃねえの、いいじゃんそれ、と、考えていた。


ただ自殺だとおそらくダメな(ローンがなくならない)ので、なんやかんやポックリ死ななければならない。

体を壊さなければ、と酒量を増やした。ストレスは仕事でバッチリ、タバコも吸ったれと。


たぶん、この程度では体は壊れんぞ...ストレスが負担になるほど働いてないぞ。たぶんだけど。

酒も翌日には残りそれが辛いが昼には戻ってるし。そもそも酒を飲むと眠ってしまうので酒量を増やすったってたかが知れてる。


なかなか、思うようの死を迎えられない。それどころか体を壊しつつ生きながらえる将来も見える。これがいちばんカネがかかりそうでいかん。


そう、死なない程度に体を壊し、カネを稼ぐには不自由な程度に体を壊す。子供にとってあまり良くない思い出になりそうなこの姿がいちばん現実的ではある。


など考えるうちに死を目指すのは辛いなーと、だんだん現実に戻ってきた所存です。でも死ぬことで土産を残せるってのは、やはりどこか魅力的なのだ。


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林堂 首都郎

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