2021年1月4日月曜日

 不思議っちゃあ不思議な体験。今日、ちんたら見ていたTVで盆栽を作っている人の作業風景が映った。


で、カミさんが「息子くん、盆栽やったらいいんじゃない?」と息子に言った。息子はもちろん興味がないのでうーとかなんとか言って聞き流していたが、僕は驚いた。


僕も「息子くんには盆栽、いいんじゃないかな」と思っていたからだ。


妻にそのことを伝え「なんかふとそう思ったよね」などと言い合った。この"なんかピンと来る"という実に曖昧な感覚を、僕はけっこう大切にしている。


何度かこのブログでも書いたが、ピンと来ると言うと根拠の無い出鱈目のように聞こえるが実は真逆だと思っている。自分の中で理屈や理由を思いつくよりも早く結論に達するのが"ピンと来る"状態だ。緊急性が高すぎるので脳内会議の合意をすっ飛ばして意識に上がってきているので根拠が思いつかない。


理由や理屈が思いつかないから出鱈目かというとそんなことはない。完全にイメージだがこんな感じ...物事を決める時には脳内会議が開かれる。決断は脳内会議の議決だ。

例えば夜出歩くとする。買い物だったり散歩だったり。脳内では暗い場所では見通しが効かないから危ないとか障害物に気付かず転倒してしまうかもとか、あるいは幽霊に出くわしてしまうかもとか、過去の知識や経験からその危険性を説く。いっぽうで長い夜を過ごすための酒が必要だとか、明日はそれを買うのは面倒だとか、夜歩くことで得られる解放感など、出歩く必要性も主張される。最終的に雨が降りそうなので、とか疲労感が大きいとかいう意見が採用されて夜のお散歩が否決される。


こうして幾度となく議決が繰り返される中で「いくつかの条件が揃った時は議決なしでOK/NG」というのが出来上がる。それが「"ピンと来る"条項」でこれは議決(=理由)を超越する。何度も繰り返された議決から生まれた条項であり、出鱈目と言うよりはむしろ"超理性的"な判断なのだ。言を俟たないってやつよ。


なんか例えが下手くそでむしろ理解が遠ざかっている実感()


今回の件でいえば、テレビの放送を見た上で反応している。盆栽自体も存在を全く知らなかったという訳では無い。理由づけを超えたところでOKが出されているが、意識に上がってこない種々の条件がクリアされたから出た"ピンと来る"なのでとりあえず信じておく。しかもカミさんもだから多分、今回はあり。


そして、これも何度か書いてるけどこういう"ピン"を無視しているといつしか"ピン"に気付かなくなると思う。脳内会議の緊急条項は身の危険に関するものもたぶんあるので、無視し続けるのは危険な気がするのだ。

ということで今回はこれを信じてみようと思う。面白そうだし。

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