2021年2月2日火曜日

 前回は興味のないSNSをネタにし、見事なまでに内容のない記事を書いた。自分でも中々やるなと思った。あんだけ文字を弄して内容がないんだもん。


で、そんな感じのは延々と書ける。これは楽しい。


100de名著で『資本論』が取り上げられ、興味が湧いた。環境に優しい商品を選んで購入するのを「ダイエットコークをがぶ飲みするようなもの」と断じたのが特に印象的だった。


さて、社会的な富を共有するとはどういう状態なのだろう。現在あらゆる(加筆すべし


でだ。占有した富は手放す時が来る。そのときの軋轢はどう解消するのだろう。占有から共有に移る時、占有者は手放すのだが、それはすんなり行くだろうか。例えば僕が賃貸物件を持っていて家賃収入を得ていたとする。住居は生存に不可欠だから共有すべきだとして、僕はすぐに手放すだろうか。


正当な手段で入手した財産はもちろん不当に入手したものでさえ手放すのは難しいだろう。なんせ本人にとって当不当は関係なく努力の結果得られたものだからだ。


そうした占有から共有への移行が社会主義そのものだ。社会主義政府とは移行の手続きにほかならない。そして社会主義は接収から共有の方法を見いだせず、結果としてあらゆる富を占有し、強大な権力を持ってしまった。社会主義政府はことごとく独裁化した。


つまり、それだけパスを出すのは難しいのだ。

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