本書に書かれていた、生産効率が上がると資源の消費量が増えてしまうパラドクスには驚いた。たしかに1時間に10個から20個作れるようになったとしても作業時間が半分になることはなく、生産量が倍増するだけなのは社会経験上よく知っている。Eメールが普及して「連絡待ち」が激減したはずで、その分仕事の拘束時間は減るはずだが実際はそんなことになっていない。
資本論はまずそのボリュームで食わず嫌い決定だったんだけど、なぜかこの本をチョイスしてしまった。多分、それなりの理由がある。
きっかけはやはりCOVID-19なんだと思う。僕はここ1年くらい日記(ブログ)を書くことでこのパニック下での自分の心の動きをスケッチしようと思った。書くことで自分の感情を客観視しようとしていた。上手く書けないけど、例えばマスクの着用なんてパニック前は全然常識じゃなかった。けど今じゃ当たり前のようにマスクを着けるし、忘れたら自宅に取りに戻るくらいだ。政府も新しい生活様式とかニューノーマルとか胡散臭いことを言っているから、気をつけないとマスク常用は2020年スタートだったんだぜ、ということすら忘れかねない。
・『人新世の資本論』を読んでしまった理由①立ち止まれないシステムへの違和感
で。
緊急事態宣言が出るか出ないか、というときに経済活動を止められないことに僕は違和感を覚えた。ちゃっちゃとロックダウンすりゃあいいのに、「何か不具合があった時に止められないシステム」ってまずいでしょ。
それでもコロナ対策と経済活動をどう両立するかが議論された。僕も経済活動を続ける大切さはわかる。わかるんだけどコロナ対策と経済活動を天秤にかけちゃう思考回路自体が既にやばくて。その思考回路はやはり資本主義の賜物なんだよなと思う。人の健康、生命とカネを天秤にかけるって発想はおかしいでしょ。
・『人新世の資本論』を読んでしまった理由②サステナブル感ゼロの経済への違和感
これは結構前から感じていた。資本主義は後世に財産、遺産を残す感覚も欠如している。カネとはまた別の遺産ていうのかな。
僕は斜陽の業界を渡り歩いている(笑)。そうすると昔は良かった的な話をよく聞く。トラックに商品を満載して一度納品すればそこそこ儲かったんだよ、とか。今や少なくても週4回は納品に行ってるっつうのに。やれ箱代がどうとかいちいち揉めてる自分がみみっちい気がしてくる。
そんな中で「昔は良かった」トークを聞いてしまうと「それを今に残す気はなかったんかい」と思ってしまう。 多分考えなかったんだろう。
景気がいい時になるべく長く、次の世代もこの仕事で生活できるように何かを残そう、と考えることを資本主義は許さない。今できる限り全てを搾り取らないと誰かに持ってかれてしまう強迫観念が市民を支配する。
いや先行世代だって子供の幸福を願っただろうけどさ。で、僕もチャンスがあればがっぽり儲けようとするし、分け前を知らん誰かにかっさらわれるのごめんだ。こういう考え方になってしまうのも資本主義下に投げ出されているからだと思う。
そして「自分で自分たちの儲けの上限を設定できない」のも資本主義の悪いところだ。
例えば売上前年比100%を目指している企業はあるだろうか。どこも前年比超えが課されているのではないか。例えば過去最高収益を上げた際に「流石にやりすぎ、儲けすぎ」と部下を嗜める経営者はいるだろうか。「自分たちの儲けはこれで充分、残りは誰かのためにとっておこう」とか、「将来も資源調達に困らないように生産を調整しようとかさ」、思っている人はいるだろうけど決してメインストリームではない。
とここまで書いてきたがやはり移行への第一歩をどう踏み出すのかがとても難しい。資本主義に違和感と限界を感じているけど、この考え方以外をしたことがないのだ。
とても難しい。
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