2022年1月29日土曜日

コロナという表記さえ飽きた日のこと

 いい加減コヴィッド・ナインティーンに飽きた頃だったが感染は何度目かの拡大を記録した。ウイルスはオミクロン株というやつで数日後には東京の全人口が濃厚接触者になる、なんて言われるほどの感染スピードを持っていた。しかし重症化するリスクは少ない、らしい。

 実際のところ少なくない市民はコヴィッド・ナインティーンと縁遠い生活を送っている。私の周囲で感染の話を聞くがそれが家庭や息子の通う学校には及んでいなかった。対岸の火事よりは近いが、異なる番地の火事くらいだろうか。などと油断していたら娘の通う保育園で関係者だか園児だか園児の親だかの感染が確認された。

 重症化リスクの低下を宣伝するものの、2年にわたって怯えてきた代償は大きかった。従来のインフルエンザ程度の対策で十分な気はするが「インフルエンザと同程度で構わない」とは言い出せないままここまできてしまった。

 緊急事態宣言が何度か政府から出されたが、相変わらず仕事は休みならないし『ペスト』のように往来が停止することもない。緊急事態宣言は何度か解除されたが市民が広場に集まってマスクを放り投げるフィナーレも訪れない。最も怠惰な形で緊急事態が継続されいるのだ。

 2年にわたって異常な事態が継続しているのだから市民は少しずつ狂ってきている。私は自分が狂っているという自覚はない。だがおそらく精神は棒倒しの砂のように削り込まれている。マスクを脱ぐことができない。

 娘が保育園で発熱して早退した。妻は何の買い物もできていないと私にスマートフォンのメッセージで伝えた。娘の唾液は病院で検査に回された。結果は明日になる。私はインフルエンザと同程度に警戒すれば良い、という覚悟ができないままだ。

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