2022年3月13日日曜日

孤独たれ

 森山直太朗がマツコ・デラックスの番組で自身のコロナ感染について語っていた。社会とコミュニティから分断、断絶された状況はある種の解放であったと。

 あ、わかる。なんなら知ってた。不謹慎だから語らずにいるが、隔絶されることで得られる孤独はおそらく甘美であろうことを私をはじめ少なからぬ市民が予感している。高密度ネットワークから抜け出す快感だ。

 予感こそあれ具体的に言語化できなかった事柄を森山直太朗が見事に描写してくれた。

 独りになりたかったのだ。

 いやそんなことはない。私は人恋しいし八方美人だし、金と時間に隙があればスナックにだっていく。孤独とは無縁だ。

 違う。スナックの心地良さは「ああ孤独だ」と感じさせてくれることにある。常連に混ざれず、ママの取ってつけた質問に苦笑する。滞在すればするほど深まる居場所のなさ。簡易孤独提供所なのだ。

 と考えると飲酒それ自体が孤独の儀式だ。素面の界隈からの脱出。酩酊して目覚めるフィクショナルな自己との口論。手っ取り早い孤独だ。

 断絶し孤立して得られる自由がある。そのことは覚えておきたい。また、森山がそれでもなお生きたいと思っている自分に気付いた点も重要かもしれない。

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