2022年3月14日月曜日

 3/11に何かしら書くようのしていたが、今年で途切れてしまった。時の間にウクライナ戦争の雑感を書いたが東日本大震災とは直接関係の無い内容だ。

 あの日以降、本当はもっと優しい世界になる可能性もあったんじゃないかと思う。逆にもっと殺伐とした世になった可能性もあったろうか。

 ウクライナ戦争において初日にIT軍が編成されたそうだ(テレ東WBS情報)。˙˚ʚ₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎ɞ˚SNSは全ての人に公開され、ロシアへのサイバー攻撃の指示と結果報告がなされる。いや、未来だわ。

 また、企業へのメッセージもSNSを通じて発信されるスターリンク(衛星経由でネットできるやつ)が欲しいとイーロン・マスクに送ったり、ロシアに協力しないで欲しいと企業アカにメンションつけて送ったり。メールだと「見ていない」「届いていない」と片付けられてしまうが、多くの市民が閲覧できるSNS上だと無視することが出来ない。企業はなんらかのリアクションを求められる。いや、よう考えよる。

 未来の戦争というと無人兵器や武器をつけたドローンなんかを想像していたが、なんとも身近で未来的な戦術だ。日本でこれができるだろうか。フットワークの良さというか、ノリの良さ(軽さ)は真似出来なそうだ。SNSを使用とか協議しているうちに占領されてそう。

 私は責任感に乏しい。自分の行動は誰かの許可を得ていたい。それは私の責任で行動したくないとイコールだ。結果の責任を取りたくない。だって失敗したら損失を補填しなければならないし。今日窓を開けたのも私の責任では無い、私は指示に従って開けたにすぎない────

 これは私の特性だと思っていたが、最近の政府を見ていると国家的な症状だとも思えてくる。「誤解を招いたとしたら謝罪する」なんて言い回しがあるが、あれも言った当人ではなく聞いて解釈した側に責任を転嫁している。そういう姿勢がずーっと見られる。

 責任の主体であることを避けるようになったのはいつからなのだろう。私は案外ここ10年の間に症状が深刻化したと思っている。つまり震災を契機に。

 福島第一原発の事故の責任は東電にあるが、いっぽうで地震に対する責任はない。地震に備えておく必要はあるが地震が起きたことそのものには責任はないのだ。地震にたいする責任を負わされたらたまったもんじゃない。けど実際はどうだろう、地震の責任まで取らされてはいないか。家族がコロナに感染した社員が皆の前で詫びたが、詫びること自体はおかしいぞと。それはちゃんと分けないと。

 ということで震災以降の責任。忌避社会についてはしばらく語っていきたい

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