2022年7月9日土曜日

大事件があった。要人狙撃事件。

 

眠れず、「今日の私は本当にイヤなやつだったな」という後悔もあり考えがまとまらないではあるが、事件が起こったので書いておきたい。

 今日(日付が変わったので昨日)、安倍晋三元首相が応援演説で赴いた奈良県で狙撃され死亡した。 今日は不機嫌に働いていた。昼休憩にSNSを流し見していて当該記事が表れた。自身で思っている以上に動揺?したらしく、ぱっと見てイタズラだと思った。アカウント名を見て「あれ、虚構新聞じゃないぞ」とネットを見ると銃声のような音、安倍氏は心肺停止など記事がいくつも出てきた。 珍しく妻からも事件を伝えるLINEがきた。

 私は自民党政権が嫌いで安倍氏も全く支持していない。それでも動揺した。

 同日、安倍氏に近いとされる山口というジャーナリストが性加害で賠償金の支払いを命じられた(訴えた側も名誉毀損になった)。彼がどの報道よりも早く、ニュース速報より早く氏の死亡を伝えたことが少しだけ話題になっている。どういうことなのだろう。

 ツイッターのタイムラインは早速「アベガーとか言ってた連中に少なからず責任がある」という発言が表れた。とりあえず自分と意見の合わない連中の口を塞ごうとするものだ。保守とリベラル、ではない。サヨク嫌いとウヨク嫌いの対立。サヨク嫌いが保守ということでもないのだ。

 かつてブルドーザーで安倍氏を模した人形を轢くなどのパフォーマンスがかつてあったそうだ。それに共産党の人間が参加していた。
こうした「憎悪を暴力に昇華させる」行為が今回の事件と地続きなのだ...という意見もあった。
 「とりあえずウヨク嫌いの口を塞ごう」と躍起になるとこういう幼稚な論陣を張ることになる。本当に轢くんだったら自民党本部にローダー突っ込ませただろう。それらのパフォーマンスや言動と実際に起こった殺人は全く別個の事柄だ。あべしねと聞いたら「殺していいんだ!」とは普通ならない。
的確な言葉が見つからないが「死ね」「殺す」が脅迫、という主張には違和感が残る。いや、悪い言葉だし面と向かって言われたら思ってる以上に怖いだろう。だが言論の封殺では、とも思ってしまう。なんていうかお前らそこまでおぼこいのかよと思う(私の思想も随分偏向してるだろう)。

 また、現時点で容疑者の思想は明らかになっていない。熱烈な自民党支持者による偏向した愛による誅殺の可能性だってあるわけだ。 ...たぶんないだろうけど。これはこじつけだ。

 一方でウヨク嫌いたちもいちいち「氏には説明責任があったのに...!」みたいなツンデレ哀悼を表明していてそれはそれで気色が悪い。

ウヨク嫌いも別の事件があればサヨク嫌いの口を塞ごうとするだろう。両者はゴミとカスくらいの違いしかない。

 そのほか、あらゆる発言の揚げ足取りが横行している。治療に当たった奈良医大はみな称えている。

 私も軽~中程度のSNS中毒なので「なんか一言表明したい」と思った。しかし今日は何も呟かなかった。たぶんこれがいちばんの正解だと思う。 というより当日にこの件にかんしてあれこれ言った奴らは全員信用に値しない。...ていうとこれ書いている自分自身も該当してしまうが。

 沈思黙考が失われて久しい。ああでもないこうでもないという逡巡は退けられ、いかに速く反応するかだけが評価される。論戦は相手の優位に立つことだけが目的になった。はい論破。結果として延々と揚げ足取りが続く。

 小3の息子には「父さんは安倍ちゃんのことがどっちかって言うと嫌いだ。でもやってることが嫌いなだけでその人のことを殺したらいけないな」と言った。なんていい発言なんだろう。さすが私だ。

 暴力はいけない。しかし暴力的なパフォーマンス全てが悪いかというとそこには何かしら話し合う余地がある。政権批判する権利は誰にもある。対話は続けていくべきだ。

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