2023年8月13日日曜日

程よくスピ入れとくのが非狂気の王道

 とか、まあちょっと深夜の思いつきです。

 こないだ神社に行って「科学的ではないけど消えないスピリチュアル」みたいなことをちらっと書きましたが。いわゆるスピリチュアルは科学的ではない、理性的ではない、合理的ではない。とすれば数十年前に消滅していてもおかしくはないんだけど、その気配はありません。といって初詣に行く人が全員、神仏に対して敬虔であるかというとそんなことはないでしょう。むしろ神仏の存在を意識していないと思います。

 スターリンや北朝鮮のキム家、イラクのフセインとか、社会主義国家が個人崇拝に傾いた歴史を見るとスピリチュアル(宗教含む)が機能しないと途端に個人を崇拝の対象にしてしまう傾向が人々にあるようです。

 いや、書いてて不安になったけど社会主義下の宗教ってどんな感じなんでしょ。マルクス主義って宗教否定してたよね、というぼんやりした記憶で語ってますけど……。でもロシアって寺院結構あるよね。

 どうも人には祈る対象が必要なのではないでしょうか。あるいは科学的ではなく、理性的でもなく、合理的でもないことを思う時間が必要というか。幻想とかファンタジーと妄想とかでもいいんですけど、そういうのに身を委ねる時間をとることでバランスを保っているんじゃんいかと。

0 件のコメント:

コメントを投稿