知ったのは実家近くの小さな公園。帰省して暇を持て余した子供たちと遊んでいました。
夕方頃にどこかの親御さんが「石川県震度6だって!やばくない!?」と言ったのが聞こえました。正月の非日常感が危機感遠ざける感じがしていました。「やばくない!?」と目の前で遊ぶ児童のミスマッチが印象に残っています。
実家に戻りテレビをつけました。Eテレさえも地震報道になっていて驚きました。それから大津波警報。「わゎ、まずいまずい」と思いました。焦るに近いでしょうか。起こってはいけないことがまさに今から起こるのを待たなくてはいけない、という落ち着かなさが腰の辺りを浮つかせる感じ。
SNSが情報インフラとしてはむしろ退化していることもよくわかりました。私は直接デマの拡散には関与していません。タイムラインで「東日本大震災の映像を今回の津波だと拡散していた」と書かれているのを見たり、PayPayで募金しているが嘘っぽいとか、そんなのを眺めたにすぎません。まったく、使いづらくしてどうすんだよ。
遊べて、非常時にはインフラとして機能する。これがSNSの可能性です。そしてこれは容易に実現が可能です。だけどできない。「本当の意味での"バカ"」が利用者のかなりのボリュームを占めているんだろうなと思います。
これはXでの話。Xは「旧Twitter」と但し書きを入れないと違和感がありますね。そういえばThreadsは見ようとも思いませんでしたね。実はThreadsがいちばん情報源として有用かもしれませんが、文句と愚痴とつまらない能書きしか流れてこないので、おそらくその可能性は低いだろうと思います。
いい情報にGoodをそして悪い情報にfuckを付けられるようにすれば...いや嫌がらせのfuckとかつけられんだろうなぁ...。有用な情報の拡散は歓迎できる、かつ悪い情報を抑え込むアイディアが必要です。ひと昔前は悪い情報をシャットアウトすることで良い情報も制限されてしまうことを懸念したもんですが、今となっては悪い情報が多すぎる、いやほんと純粋に量として多すぎるので何らかのの制約が必要でしょうね。
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