2024年6月13日木曜日

日本学術会議にかんして

 篠原信さんが日本学術会議のことを擁護されていて、思わず落胆してしまった。

 ちょっと振り返ってみた。学術会議が新たな会員を推薦したが当時の菅首相がこれを任命しなかった、というものだ。

 篠原さんは「これを契機に学術会議をこき下ろす風潮が広まってしまった」としている。しかし私は別の点で学術会議にがっかりした。菅氏ごときに振り回されるみっともなさだ。

 なんで政治への影響力がこんなにも低いのか。首相も恐れる権威を持っていて、任命拒否なんてしたら逆に首相が暗に罷免されてしまうくらいの権威をなぜもっていないのか。

 菅氏による任命拒否は学術会議をこき下ろすきっかけだったかもしれないが主な原因ではない。学術会議のその権威のなさに皆落胆したのだ。

  「学術会議を役立たずと罵る人がいるが、それはそれらの専門分野の人達全員を罵ることに等しい」と篠原さんは仰っている。この場合は主語がでかい、ではなくて目的語がでかいと言うべきか。こういう無茶苦茶なことを言う時の典型的な語り方だろう。この部分をもってしても篠原さんが無理な論理建てをしているように感じさせる。

 学術会議をこき下ろす人たちは専門分野の人たちを罵らない。むしろ尊敬している。研究者を尊敬していない人たちはそもそも学術会議を話題にしない。象牙の塔に引きこもってしまうような態度には問題がある。

 研究者が皆政治的であるべきだとは思わない。むしろ逆で政治権力から距離をとるべきだ。いっぽうで研究と産業、もっと言うと社会と学問をつなぐ存在も必要で、学術会議の存在意義はそこにあるはずだ。

 そもそも2012年以降特に顕著になった政治の反知性主義化も学術会議の怠慢のせいだと思う。研究者が純粋に学術的でいられるように、学術会議はきわめて政治的であってほしい。そしてあまりにも政治権力がない学術会議に私は落胆している。

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